大嘘つきの美学

いい話でした、ビッグフィッシュ。おそらく僕の最大の涙のツボである「周りの人をを幸せにするためや大切な人に悲しい思いをさせないために付く嘘」の典型例みたいな映画。ライフイズビューティフルとかグッバイレーニンとか映画じゃないけど『赤毛のアン』の系統って言えばいいんですかね。僕の座右の銘である「望まれない現実よりも夢のある嘘を」を地で行く話。巨人も、団長も、双頭のベトナム人も、魔女も銀行強盗も一面の水仙も、魚に食べられた結婚指輪も、そして親子の作る最後の嘘も。


あと、親子の物語として良くできているけど、何よりお父さんお母さん夫婦のラブストーリーとしてもこれ以上なくロマンチック。あの映画を見に行って好きな人にその人の好きな花を贈りたくならない人がいるだろうか。花を摘んで君に似合う花なんだろうかなんて本気で首かしげたりしない人がいるだろうか、っていうのはバンプか。それに服を着たままお風呂で抱き合いたいと思わないだろうか。出会った瞬間時が止まるような恋をしたいと思わないだろうか。僕は送りたいし首かしげたいし抱き合いたい。時を止めたい。
とにかく一緒に行った人のことをもっと好きになる映画だ。一人で行ってたらメチャクチャに泣いてたんだろうな。


あ、あと、物語の中に出てきたアメリカンジョークをメモっとこう。
予知夢を見る少年がある夢を見た。それは彼の叔父さんが死んでしまうと言う夢だった。悲しいことにその予知夢は現実のものとなり、叔父さんは程なくして心筋梗塞に倒れた。
悲しんでいる暇もなく少年はある日また一つの予知夢を見た。それはここ3週間以内にお父さんが死んでしまう。という夢だった。不吉だ。悩んだ末に息子はその夢の内容を父に告げた。父は表面上は平静を装っていたものの、息子の予知夢の信憑性自体に疑いはないため心の中では怯えに怯えていた。道すがら斧でも振ってくるのではないかと上ばかり向いて歩くようになった。
不幸の予感が家を覆う中、また1つ驚くべき出来事が起こった。その親子の家に配達に来た電気屋が玄関前で急に倒れたのだ。父は次こそは自分の番なのだと蒼白になり寝込んでしまったが、少年はもう父の死に怯えることはなかった。父が死ぬという予知夢はもう当たっている。母親と配達員がもう何年も「デキて」いたことに気づいたのだ。
おしまい。