今日の感動が勝手に指を動かします。

後輩にお招きを受けてその人の家で焼き肉をしてきた。
ホットプレートで焼く肉の味は最高だった。遠赤外線も秘伝のたれも生ビールも無いのに冗談じゃなくてほっぺが落ちた。だから今、僕の頬骨やら臼歯やらはむき出しだ。
焼き肉屋で炭火とかいうくだらないもんで焼くのとは段違いに美味かった。油が落ちないから牛肉の臭みは残るし水分もちゃんと飛ばないから香ばしさも足りない。それなのにどうしようもなく暖かくて、皮肉抜きにとにかく美味しくって、冗談じゃなくて心にあかりが灯るようだった。だから僕の胸は今、Tシャツの上からでもぼんやりと光っている。
その後の焼きそばもケーキもお酒も、とにかく全てが最高に美味しかったし楽しかった。何を食べても何を飲んでも、それら本来の美味しさの可能性が想定しうる最高の形で僕の口の中にあふれた。そして落ちてしまって隙間だらけのほっぺの隙間からひそやかに部屋を満たした。
ご飯だけじゃない。すみからすみまで気配りが行き届いていた。その人も一人暮らしなのに、必死で片づけた雰囲気とか頑張って準備した印象を与えずに、家庭というか日常生活の中にきちんと人を招いていた。部屋の片づけは、ポジティブな意味での雑さ、本来の意味での適当さに満ちていて、それが部屋から緊張感をぬぐい去っていた。ファンデーションは使ってませんみたいな感じ?←違うし古いよ!
とにかくその部屋は、ほこり一つ無い家の何倍も美しかった。
もちろん必死で片づけて頑張って準備をしてくれていたんだと思う。でもそれを出さない。気取らないのに上品。自分の家を提供してこういう企画をできる人は本当にすてきだと思った。例えば僕が家で友達を呼んで鍋だの何だのをやると、どうしても見栄を張りたいですというか自分をよく見せたいです的な気持ちが表に出てしまうんだけど、そういうくだらない虚栄心とはそもそもの出自の違う、やわらかくてしなやかなもてなしの心に満ちていた。相手の笑顔の奥にある自分への評価なんて気にもかけず、ただただその笑顔を見ていた。
相手のことを思いやることと結局それは自己愛の裏返しだということは、いつだってコインの両面なんだけど、だったら相手のことを思う気持ちを常に表に向けておきたい。そういう気持ちにさせてくれた。他者への愛は自己愛だのなんだのと子供じみたことを言っている僕にはもう無理なことなのかもしれないんだけど、それでも憧れる。他者への愛がいっつも表になるコインを求めて永遠にあがき続けたいよ。
もてなしは人の基本。そうやって育てられたとその人は言っていた。その言葉はかわいい女の子の形をして、大人への階段を着実に上る女性の形をして、何より魅力的な人間として、そしてそれら混然として、目の前にちゃんといた。好きになったって意味じゃなくてその人のことを好きになった。いやあ、本当に尊敬できる人だ。