ロングエンゲージメント

戦争の描写が重苦しくて見てるのがつらいのなんの。途中ホントに席を立ちたかった。あと登場人物が多いのに各キャラクターの造形が似通っていて、話の筋を追うのがとにかく大変。
な感じで最初の1時間半くらいがきつかったけど、終盤の展開は本当に良かった。戦争に引き裂かれた2人の恋物語だと勝手に思って見に行ってたので、その点では肩すかしだったんだけど、サスペンスとして、戦争映画として、映像の美しさもあいまって非常に魅力的な作品になっていた。と思います。


戦争に翻弄されたマチルダとマネクの恋物語。婚約者マネクを、それこそ背筋も凍るほどに激しく愛し求めるマチルダ、その愛情。この映画、表面上はそう読める。映画の宣伝会社はそこだけを強調して予告編を作り、壮大なラブストーリーをでっちあげていた。でも多分ロングエンゲージメント恋物語じゃない、少なくとも恋メイン映画じゃない。と思います。
ジャン=ピエール・ジュネが本当にやりたかったことは、戦争という大文字の歴史に埋もれた個々人の物語を、サスペンスの手法を援用しながら掘り起こすことなんじゃないでしょうか。螺旋階段を下るように、同じような場所を巡りながらも少しずつ謎がほつれ、真実が明るみに現れていく。その過程こそが明らかに面白い。


それに、マチルダとマネクはヒロイン、ヒーローに選ばれてるけど、実際この映画の主人公がこの2人じゃなくてもよかったはずだ。親友に妻とセックスさせる男でも、恋人の敵を討つために将校を殺してギロチンに欠けられた女の人でも、マネクじゃない方の生存者でも、どこにメインスポットをあててもドラマはいくらでも作れたはずだし、事実、とても物語の枝葉とは言えないような時間を裂いてそれぞれの人生を描いていた。


そんなことを思うと、あまりに後味の悪いラストシーンでの違和感の答えがわかる。
片や小児麻痺の女性、片や記憶喪失の男性。ため息が出るほど美しい背景の中で決して幸せになれない2人が再会を果たす。そこで終幕。求めて求めて求め尽くして最後がこんなのじゃ後味が悪すぎる。
いや何も、ラブストーリーは必ずハッピーエンドで終わるべき、バッドエンドは許せない、とかそういうことじゃなくて、「2人のその後」が不自然なほどに何一つ語られないことに何とも言えない後味の悪さを覚えるのだ。再会を果たしたその次の日から、まるで世界は存在しないかのような放っぽり出し方だ。何なんだこのラスト?
と思ってみてたんだけど、そもそもこの映画、再開後の2人の人生なんてものにはなから興味なんて無いんだろう。つまり、この映画はラブストーリーじゃない。もしこの映画がラブストーリーなら絶対こんなシーンで終わったりしない。幸せな再会でも不幸な別れでもなく、「不幸な再会」で終わるラブストーリーなんて聞いたことない。
でもそれも当然。大事なのはあくまでサスペンスとしての結末。つまり「探偵役が真実を突き止めた」という結末なのであって、その先は知ったこっちゃ無いわけです。だからこそああいう放っぽり出し方ができた。
マネクが記憶喪失という、ご都合主義甚だしい設定も、「探偵(マチルダ)が謎(マネクの生死)を突き止める」というサスペンスの構造を生かすためだと思えば腑に落ちる。真実の方から探偵に近寄ってきたらサスペンスにならないからこそ、マネクは記憶喪失でなければ「ならなかった」のだ。マチルダが小児麻痺のせいできちんと歩けないという物語の進行に全然生かされていない設定も、サスペンスの構造を強固なものにするための小道具なんだと思えば飲み込める。


この映画で監督さんは、「マネクを愛し続けるマチルダ」を描きたかったんじゃなくて「戦争に埋もれた真実を追究し続ける探偵」が書きたかったんだろうな、と思いました。


あとどうでもいいけど「マネク aimes マチルダ → MMM」 はかっこよかったー。