叱られてしまったわけですが

「日本語を叱る!」って本。
日本語を叱る! (ちくま新書)


まあ内容は置いておくとして(まあ★☆☆☆☆くらい…)、この著者の加賀野井秀一さんの「感性」があまりにすばらしかったのでここに記録しておきたい。やっぱ日本語のことを深く考えてる人は発想の次元が違うわ。色々と感銘を受けた部分はあったけど、以下僕の中でのハイライトだった箇所を引用。現在の「若者ことば」には、使用時に無意識に想定される、自分とは異質なものとしての「他者」がいない。そのせいで、現代の若者は内省や抽象化思考ができなくなっている。それに対する処方箋を提示したい。という文脈に続いて。

まずは、従来のようにすぐれた若者ことばを、もう少し知性的にして、領域もさらに広げるといいのではないでしょうか。


(中略 浅田彰の著作から「スキゾ(分裂気質)」「パラノ(偏執気質)」っていう言葉が流行ったことを書いてある)


たとえばこんなところから「スキゾくん」「パラノくん」といった若者ことばが出てきて、軽いノリでそれが使えれば、なかなか大したものだと思います。まあ、そんなふうに哲学などで遊ぶなら、たとえばひきこもりにつけるあだ名はライプニッツをもじって「モナドちゃん」、毎日なんの変哲もない生活を送っている人には「カントくん」なんてのもいいかもしれません。


あるいは政治の世界でも、かつて中曽根首相に「風見鶏」というあだ名がつけられたことがありましたが、あんな感じでいくのも一案です。たとえば、大した理由もないのにすぐケンカを売る人物がいれば、あいつ「ブッシュしてるよ」とか「ブッシュってるよ」などと造語してみるのはどうでしょう。そうなってくると、今の若者ことば「コンサバ系」にも、ひょっとしたら、ラムズフェルド国防長官の顔がダブってくるかもしれませんね。


他にも、美術や音楽の世界まで範囲をひろげて、鼻歌まじりでピアノを弾くことを「グルドる(グールドする)」とか、めちゃくちゃな絵をかくことを「ポロクる(ポロックする)」とかやってみるのも大いに結構。ともかく、そんなふうにして、感性ばかりにたよりすぎる最近の若者ことばを、もう少し中和してみるといいだろうと思います。

読みながら苦笑いが止まらなかったのは僕だけでしょうか。絶対この人、「ここに書いてある言葉はイケてる!」と思って書いてるのがくすぐったいやら恥ずかしいやら。上に書いてある意味で「あいつブッシュってるよ」とか使ったら絶対次の日からみそっかす扱い間違いなしなのではないかと思う。


そして、真っ昼間から「モナドちゃん」になってこんな一節をまるまる模写してる自分に、自分自身何をやっているんだろうかと思う。