流星ビバップ

昨日と今日は「五月祭」なるうちの大学の学祭で、塾講師というバイトをやっていたこともあって元生徒かつ現後輩たちから「屋台やってるんで是非チケット買えやゴラア!」みたいな連絡を結構な数いただくわけだ。で、今日は昼間30分くらいでその「業務」をまとめてこなしてきた。懐かしい顔に会えて素直に楽しかった。たくさん買ってあげられなくてごめんよみんな。


一人一人の違いは大雑把に捨象すること、そしてそこに自分の感情を勝手に投影することがいかに下品であるかと自戒しつつ敢えて言うのだけれど、彼ら/彼女らは概して「大学1年生(2年生)らしい」表情をしていた。それはやっぱり「その瞬間」にしか出来ないあの、あの「顔」だった。無性に小沢健二の「流星ビバップ」が聞きたくなって今日はその後ずっとそればっかり聞いていた。音楽の魔法に頼れないのが残念だけれど、歌詞だけでも抜粋してみる。

薫る風を切って公園を通る 汗をかき春の土を踏む
僕たちがいた場所は 遠い遠い光の彼方に
そうしていつか全てはやさしさの中に消えて行くんだね


誰もが通るはずの十代後半のあの時期。「僕たちがいた」そして今は「遠い遠い光の彼方」にある、あの場所。そこに対するコンプレクスと憧れが僕にはずっとある。振り返って、いつだって自分は「あの場所」にいられなかったからだ。だからこそ「あの場所」は僕にとって最高に甘く切ない夢物語だ。


僕みたいな人間が周りの人並みに「何でも話し合える」友人関係を築いたり、恋をしたりされたり。そんなことできるわけないし資格もないし、万が一そんなウルトラC(表現が古いな…)ができたとして、世間様に対してあまりに申し訳が立たない!中高生の頃の僕はずっとそんなことを考えていた。つうか大分マシになったとは言え、今でも生活の根底にそういう気持ちがある。あの頃、周りの人がすごく屈託無く素直に「親友」とか「○○が好き」とか。そういうことがきちんと出来る人たちが「俺らにだって悩みはあるよ」と言わんばかり、これみよがしに抱える「人間関係の悩み」を端から見て「なんて素直な悩みなんだ!」と逆に憧れるばかりだった。合唱コンクールにのめりこめる人、体育祭の練習にちゃんと参加しないやつらに怒り狂える人なんて言うのもそういう憧れの対象だったな。彼ら/彼女らと自分とは始めの一歩からして違う気がして、それが申し訳なくって、僕はいつだっておどおどしていた。その「おどおど」の裏返しで独善的な考え方にすがったり、似たような人をみつけては同族嫌悪にひたったり、ひたすら自己の内面とのみ会話を繰り返していたりもした。大学生になった時だって、アホすぎて二回も浪人した僕は周りの二つ上だったから、今じゃそんなのあんまり感じなくなってきたけれどやっぱそこに感覚の差を感じずにはいられなかった。いつもどこかに「冷めた自分」がいて、それが僕の熱中を拒んだ。周囲の人たちと芯の芯から心を通わせ夢中で駆け抜けることを緩やかに、それと気付かせずに、しかし厳として、禁じた。


そんなこんなで、結局僕はどんなときも、将来「あの場所」として想起されるであろう輝ける毎日を、憧憬の念を抱きながら指をくわえて、遠巻きにただ眺めていた。
何と愚かなこと、気がつけばそういう「傍観者」の立場に慣れきっていて世の中には「僕から世界に対する視線」しなくなっていた。実際は「世界から僕に対する視線」が逃げ出したくなるくらい山盛り一杯に存在していて、そこで踏ん張って自身の肉体や人格を他者と結んでいかなくてはいけないのに、その労苦の果てにようやく「あの場所」に辿りつけるはずなのに。もちろん、程度問題は抜きにしてそういうことが自然に、「踏ん張る」なんていう意識なしにできる人がたくさんいるみたいだけど、僕は不幸にしてそういう人間じゃないから、努力を重ねるしかない。そのことがわかってなかった。まあ今でもわかった気になってるだけなんだろうと思う。
考えてみれば、「趣味は人間観察」っていう、もはや「自分探しさん」のクリシェですらあるような言説が今も昔も反吐が出るほど嫌いなのって、上で書いたみたいな「視線の双方向性」に胸の内のどこかで勘付いていた(いる)からなのかもしれない。自身からの一方的な視線のみで世界を、人間を語る暴力を、同族嫌悪していたということなのだろう。無論、「人間観察さん」の「人間観察」のほとんどが、ジョークにもならないレベルの浅薄で思考停止的で紋切り型であることに対する優越感含みの侮蔑もあるのだけれど。

本当はわかってる 二度と戻らない美しい日にいると
そして静かに心は離れていくと


先と同じく小沢健二より、「さよならなんて云えないよ(美しさ)」の歌詞。本当は「二度と戻らない美しい日々」に叫びだしたいくらいに恋焦がれているくせに、「客観的で冷めた人間」を自分に対する言い訳にして、「あの場所」に自分がいられないコンプレクスを「俺の方が考えが深い」という醜い優越感に変換しながら、その「美しい日々」に身を投じることを恐れていただけなんだと思う。自身の世界に対する認識の幼さが招いた事態なのにまるで他人事、逃げてるだけの駄目人間。マジお前はアホか!
ただ、そんなくだらない毎日を否定したいわけでもなくて。伊集院光のラジオが、松本人志のコントが、松尾スズキのエッセイが、そういうお前みたいな「逃げ腰」でもいいんだよってことを、「駄目」を笑い飛ばす方法を手を変え品を変え教えてくれたし、そんなこんなで育ってきてしまった今の僕を今の僕はそんなに嫌いじゃない。


あと、これは完全に脱線かつウザい話だけど、勉強がそこそこできて本当によかった。気持ち悪いって思う人が多いのは覚悟の上で、勉強ができることで何だか居場所がある気がした(一部の人が心から納得してくれることも信じたい)。勉強以外、人並みにできることの何にもない自分が無意識のうちに最後の拠り所にしていた。高3まではホント何の努力もしてなかったけど、「いざとなればそこに逃げ込める」という安心感が僕を支えてくれていた。考えてみたら、そこにすがり続けるために浪人までして自分の能力では背伸びに背伸びを重ねないと入れないような大学を受け続けていたのかもしれない。


閑話休題、再び「流星ビバップ」。

薫る風を切って公園を通る 汗をかき春の土を踏む
僕たちがいた場所は 遠い遠い光の彼方に
そうしていつか全てはやさしさの中に消えて行くんだね


薫る風、汗、春の気配。
元生徒たちに会うっていうことは、僕たちがいた「はずだった」場所を憧れ混じりに夢想するってことなんだと思う。「二度と戻らない美しい日々」にほんの端っこだけでも触れられる(かもしれない)っていうことは、僕にとって他の何よりも現実から遠い(だって自分は経験してないんだから!)、けどだからこそ何よりもリアリティのある輝ける世界に接することだ。ありがとう、本当にありがとう。


今僕は医学部にいて、色んな先生達がびっくりするくらいご飯を奢ってくれたり授業をサボることを大目にみてくれたり、自身の考えるところを照れずにあれこれ話してくれるのも、同じ構造によるものなのかもしれない。25才の、大学6年生の僕の中に「あの場所」「美しい日々」を見出しているのかもしれない。もしそういう風な形で僕を「消費」してくれているのだとしたら、それは身に余る光栄だ。戻れない過去への投影、その無限ループの構造(僕のはちょっと捻れてしまったけど)。人生を通底する「入れ子」の構造の中で今日よりは明日、今年よりは来年、僕は(僕らは?)歳月を重ねていく。

本当はわかってる 二度と戻らない美しい日にいると


そういうことだ。意味わかんないけどそういうことだ。
うーん、元生徒たちに少しでも会うとすぐにこういうことばっか考えてしまうな。毎度すいません。