ULTRA BLUE
死ぬほど楽しみにしてた宇多田ヒカルの新譜!
- アーティスト: 宇多田ヒカル,Yamada Masashi
- 出版社/メーカー: EMI Records Japan
- 発売日: 2006/06/14
- メディア: CD
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にしてもこの人の曲って、ポップミュージック(不特定多数の他者に作用する音楽)として究極の完成形って言えるくらいに誰しもの耳と心をこじあけてくるのに、何でだかどうしようもないくらい「私」の歌だよなあー。「私」の問題ばかりを扱って何でこんなに他の人の心に届くの!?って思うくらいに徹頭徹尾「私」。
歌詞がメッセージソングの形式をとっていたとして、その対象になるのはやっぱり「私」。愛する人、周りの視線、内面化され相対化された「自身」の像、全てを「鏡」にして「私」と世界の関係を歌ってる感じ。なのにそれを圧倒的多数が支持するっていう。「みんな」が日々感じている声なき声を完璧なやり方で表現できるっていう点でやはり彼女は「ポップ」なる現代最大の神に愛されたシャーマンなんじゃないか(もちろん、類い希な知性の力で託宣を得ている所が大きいんだけど)、なんて今さら文字にするまでもないあまりに陳腐なことをそれでも思う。
「みんなの(日本人の?)最大公約数としての感情を拾い上げ、言葉と音の力で強引なまでにアンプリファイして聞き手に共鳴させる」「聞き手それぞれにまつわるあくまで個別の体験や思い出と共に刻み込まれつつ、同じ曲を聴いてきたもの同士に圧倒的な連帯感(時代の空気?)を産む」という点で、音楽の形態こそ違えど意味としての「昭和歌謡」の復権と言えるんじゃないのかなー。「藤圭子の娘」っていう、今や忘れられつつあるファクターこそが、宇多田ヒカルを聞く上で実は極めて重要なのかもしれない。
うん、言ってて自分で意味がわからん。つうか読み返してみたら言ってることが普通過ぎて(しかもそれを水増ししてあれこれ言ってるだけで)つまらんし…。まーブログなんて適当書き散らかしでいいや!(読んでくれてる方すみません…)
アルバム聞き終わったら、やっぱ今までのアルバムで一番好きでした。