おっぱいとジャンプ

電車の中でおっぱいをあげているお母さんはどこへ消えたのだろう。赤ちゃんが泣き出したらベロンと上着をまくって授乳していたお母さん。20年近く前、僕が小学校低学年だった頃(もうちょっと前かもしれない)には、確かに、そういうお母さんをちょくちょくみかけた。あの頃はまだ僕も小さかったし実際はそうではなかったのかもしれないけれど、電車内でおっぱいをあげることは決しておかしなことなどではなくてむしろ母親の勤めとして当たり前というか、多分に自然なことであったように思う。子供がお腹をすかせているんだから、そりゃお母さんはおっぱいあげないとね。という認識がみんなの共通了解としてあったんじゃないだろうか。
夏のくそ暑い盛り乗客はみんな汗だくで、天井の扇風機がブゥンとうなる中お母さんが赤ちゃんにおっぱいをあげている。それは街によくある見慣れた光景で、周囲の誰もそれを注視したりしない。そんなシーン。


御茶ノ水駅のホーム、鞄に入りきらなかった週刊少年ジャンプを小脇に抱えながら通勤しているスーツ姿の女性を見かけて、ああ外でジャンプをしまわない女の人って珍しいなあ(僕も電車の中や駅のホームでMOREは出せないしな)と思いながらぼんやりとそんな風景を思い出した。今日も見事なまでに暑い夏の日だ。


今もし電車の中で授乳なんてしていたらそのお母さんは間違いなく変な人として見られるだろう。電車内での授乳はおそらく、いや間違いなく世間的に「なし」だ。一方ジャンプを持ち歩く、ないし電車内で読む女の人は(確かに珍しいし、顔をしかめる人も多いだろうけど)「あり」の、少なくとも「なしではない」の範疇だと思う。逆に授乳が当たり前のことだった時代が確実にあって、その頃ジャンプを公共の輸送機関内で堂々と読んでいる女の人がいたらそれは、今とは比べものにならないくらいに、相当な変わり者として奇異の目で見られたのではないだろうか。
20年という時間。あの頃電車で母親のおっぱいを吸っていた赤ちゃんが通勤中にジャンプを読んでいる。もっと言えば父親や母親になっている人もいる。電車の中でやっておかしいこと、おかしくないことがあれこれ変わっている。
ジャンプだおっぱいだ冗談みたいな例だけれど、時間がたつと世の中の価値観も色々変わるということを自己の体験の中で「実感」できたのって、実はこれが初めてのことなのかもしれない。そして今日も冗談みたいに暑い。


早起きして回らない頭でそんなつまらないことをのろのろ考えていると電車が来た。僕も小脇にジャンプを抱えていて、車内は冷房が効いて快適で、おっぱいをあげているお母さんはやはりどこにもいなかった。ドアが閉まると蝉の声が急に遠くなって、なんとなく、夏が来たんだなと思った。




以上、おしまい。
…いやー、このエントリ、かっこいいエッセイ風で書こうとしたのだけれど、その試みは見事に失敗!読み返すほどにつまんないな…。
練習あるのみか。文才ほしい…。