大学病院1

今日は僕の所属する大学、その附属大学病院の研修医採用試験だ。信じたい、さすがに受かると信じたい。


受験する前から受かると言うなんて思い上がりも甚だしい、自惚れるな!と思う人もあるかもしれないが「受からない」がどういうことか考えてもみてほしい。今まで6年間責任をもって育ててきて(反抗期ばかりですみません…反省しています)、さあいざ学生が世に出る。そんな巣立ちの時を迎えるにあたって掌を返したかのように「君はいらないから」。そんなバカな話があるだろうか。さんざん惑星として頑張れと言ってきたくせに気が付けば矮惑星?俺は冥王星かっつうの。


たとえば十月十日を迎え感動の出産を終えたお母さんが医師と助産婦に向かって「いや、この子は私の子じゃありません、産んでません!」と言ったら。いやいやいやいや、今目の前でこの子はあなたのくっさいあそこからベロンって出てきたから!誰しもがそう突っ込むだろう。認知するしかないだろう。
散々に仏の道を説いてはことある毎に「試問」「試験」という名でその理解度を測ってきた「聖(ひじり)」が、全ての単位を認定してきておきながら「やっぱり君の学んできた教義は間違っているから」と一蹴。そんなことがあり得てよいのだろうか。そんな節操のない拙僧、こちらから願い下げである。
すいません嘘つきました、土下座でも何でもするから合格が、合格が欲しいです…。バスケが、バスケがしたいです…。バスケは、バスケは嘘です…。


というわけで、軽い気持ちで受験してこよう。
試験前日は、勉強に飽き全力でカレーをこさえていたら夜が終わった。飴色のタマネギに免じて是非合格をいただきたい。