テキにカツ

ビフテキ。僕は寡聞にしてこの言葉を実際に使っている人を見たことがなく今ひとつこの言葉がピンと来ない。さらに言えば、少なくとも同世代の人間がbeef steakを前にしてビフテキなどとのたまおうものなら速攻で「昭和か!」とツッコミの一つも入れるのがマナーであるとすら思う。ビフ&テキ&タカ&トシだ。しかし各種文献やテレビ・映画などにおけるこの言葉のバカにならない出現率(「7月24日通りのクリスマス」でもYOUが言っている。テレビの番宣で見た。)に思いを馳せるに、ある程度以上年輩の人にとってこのカタカナ4文字には魔術的なまでの憧憬が宿るのだろう。完全な死語にみせかけておいてその実、一向に廃れる気配を見せないからなビフテキって。


問題は「ビフ」に何の夢を見るかということなのではないだろうか。僕ははじめからbeef steakのことを「ステーキ」としてしまった、でっかい牛肉を焼いた料理のことを「ステーキ」と呼ぶのだと覚えた。他の肉をでっかく焼いたものを食べたことがなかったし、わざわざ「ビーフ」でステーキを飾る意味が全く理解できなかった。牛肉という情報込みで「ステーキ」じゃないですか!と。けれど年輩のビフテキ世代にとってそれは贅沢も甚だしい話で「ビフ」には今でもあの頃の夢、「ビフ」こそが右肩上がりの発展と輝ける希望の象徴だった時代の残り香が秘められていると、有り体で陳腐な話で申し訳ないがまあつまりそういうことなのだろう。


ビフに宿る誇らしさや晴れがましさ。それが少しうらやましくもあるし、でもやはりあの食べ物が「ステーキ」で通る世代に生まれてラッキーだったと正直思う。当事者でない僕がこんなことを言うのは上の世代の人たちに対して失礼も甚だしいことなのだけれど、あるいは経済発展とは「ビフテキ」を「ステーキ」にすることだったのかもしれず、その意味で「ステーキ」人間の僕は本当に「ビフテキ」人間の方々から本当に数え切れない恩恵を受けているのだなと、昼飯にカツ丼を食べながらちょっとそんなことを考えた。


追記:
ビフテキの語源はフランス語らしいので上の話は超嘘っぱちでした。