超!

今更ながらだけれど、この前HEY HEY HEYを見ててDJ OZMAつんく♂なんだと思った。「ヤンキー」「お水っぽさ」魂の正統継承者。そう言えばナンシー関は「日本人の中からヤンキーとファンシーは絶対に消えない」と言っていた。金言だ。
ヤンキー/ファンシーの話でもう一つここの所ずっと考えていることがあって、それはDJ OZMAcapsuleの音楽って根っこが同じなのではないかということだ。両者は現実にまつわる「生活臭さ」を過剰なまでに「なかったこと」にする、ださい現実を否定するのではなくて、その存在自体を本気で忘れるという方向性において完全に同根なのではないかと思う。その上で両者の違いなんだけれど、OZMAが「自分は<現実>の中に生きていて、その<現実>の中に<虚構>を配置する」のに対してcapsuleは「自分は<虚構>の中に生きていて、その<虚構>の中に<現実>を配置する」というような、裏返しというかネガポジなイメージなんだな。ただそこら辺のことがどうしても上手く言葉にできないでいる。本当にもどかしくて、すごく悔しい。


自分の頭で考えるための方法論や道具立てが大学に入ってからの6年間でほとんど増えておらず、いつも同じ思考パターンから抜け出せなくて、考えが止まってしまう。こんなに長い大学生活で一体自分は何をしていたんだろう←まあ医者になろうとしていたのだけれど、まあ何にせよ努力を積んでいないのは確かだ。
努力をすることが無条件にすばらしいのかというとそれはそれで大きな疑問を投げかけたい所であるが、それは置くとしてとにかく思考法・思考力というものがかけらも身に付いてない。ちょっとばかり(本当にちょっと…)知識が増えただけだ。単なる「もの知りハカセ」になんてなっても仕方ないし、その上僕はものもよく知らないので「ものを知らないもの知りハカセ」になってしまう。まさに減塩しおだな。