謹賀新年


明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


この使い慣れた言葉のもつ意味が年々変わってきています。明けることはなぜめでたいのだろうか、毎年くりかえされる「今年もよろしく」に諸行無常以上の如何ほどの意味があるというのか、そう考えていた時期の自分をぶっとばしてやりたいです。明けてるからめでたいし毎年きちんと今年もよろしくを告げることが大切なんだ、そんな至極簡単なことに気づくのに結構な年月を要してしまいました。


初詣。友人らと共に訪れた実家近所の神社は近所に住むしかし名も顔もしらぬ人たちで賑わっており、供されるお汁粉や甘酒を囲み、神前で願いを言語化し希望に変えていました。5歳くらいの男の子が「ぼくねえ、おおがねもちになりたいっておねがいしたー」と無邪気に微笑む姿に、祈りの原形を見ました。神様、その願いの半分くらいは僕にわけてください。
世の中に世の中の人の数だけ正月が訪れ、味わわれ、あるいは消費されているという事実。それはかけがえのない驚きとなって、言い知れぬ喜びを僕にもたらすのでした。おみくじは今年も大吉でした。


明けましておめでとうございます。知人のみなさま、まだ見知らぬ、そして常に出会いの可能性に開かれた世界中のみなさま、こんなところに足を運んでいただいてありがとうございます。今年も(あと3ヶ月かな)よろしくお願いします。