回路

チャットモンチーのギターボーカルの人(橋本絵莉子)がかわいく見えて仕方ない。理性に照らせば間違いなく「かわいくない」のはずなのにこれがどうしたことか無性にかわいらしい。曲や声のマジックはあるにせよ冷静に考えれば考えるほど腑に落ちない。あれは長く生きた座敷わらしか何かの類に違いないというのに、一体これはどうしたことか。ハチミツみたいな東京で4年も暮らしていると光化学スモッグやビルの隙間に渦巻く欲望で目がピント調節能を失うのだろうか。


始まりはどう考えてもロッキンオン・ジャパン病である。中高生の頃にあの雑誌を読むとかわいい/かわいくないの価値観が浮世離れてしまうのだ。あの雑誌のせいでスーパーカーのミキもクラムボンの郁子も、果てはナンバーガール(ブッチャーズ)田渕ひさ子GO!GO!7188のユウまでもが「かわいい」の殿堂入りである。ちなみに登場する固有名詞が確実に一世代古いのは、私のジャパニーズ・ロック・アクトレス情報が2001年あたりで更新を停止しているからである。また、今調べて驚いたことに田渕ひさ子と郁子は福岡で高校の同級生らしいと、どうでも良い情報も付記しておこう。


いや確かにかわいい。ものごしやしゃべり方などに宿るキュートさを斟酌すれば上に名を挙げた方々はみなそれぞれ非常に魅力的であり、そりゃあライブ会場で出てきた瞬間に「○○ちゃんかわいい〜」と叫び出す人がいるのも十分に頷ける(でもあれは耳障りだからやめてほしい)。
に、しても。問題は何だか顔のカッパっぽいチャットモンチーさんに至ってついに「立ち振る舞い」をすっとばして「顔」がかわいく見えてきている自分という事実だ。さらには、気が付けば数百文字にわたって座敷わらしだカッパだ、あまりに酷いことを書き散らしているという事実だ。


どうやら脳内のものごしをかわいらしく思う回路→容姿をかわいらしく思う回路が短絡を起こしているらしく、歌ってる曲がかわいかったり声にフックがある(川本真琴なんかもそうです)、あるいは言動が変であるとそれだけで「その人の顔がかわいい」と思えてくるわけだ。昔はそんなことなかった、「顔はかわいくないけれどあの人何となくかわいいよね」だった。それが今ではちょっと気になる人がいると「顔もかわいい!」へとヒトットビ。完全に刷り込み回路が働いている。心の風邪だ。パブロフ飲んで速く治そうだ。このままではaikoの顔をかわいいと言い出しかねない。避けたい、それだけは避けたい。
というわけで自分もなにやら年をとったものだ、と感じ入る三箇日だった。