予感

あんばい加減が肝心だ。部屋をかたづけあたため、落ち度のないよう整え、だけれど計算づくの生活感をスパイス程度にキモチ残して、頃合いを待つ。終電に乗って訪れる24時のチャイムが鳴れば何気ないそぶりで僕はドアを開ける。


運命なんてなんだ!運命なんてあるものか!運命の出会いを信じることに比べそれを信じないことの方がよほど勇気と努力を要するではないか。今の彼女こそは赤い糸、と信じこむことよりも、運命の人なんかではない、この子はたまたまの偶然で選ばれた数ある可能性のひとつだと知りながら不断の努力を費やし思いを懸命にささげ続けることこそが愛だ。あの子に似合う新譜を拾い、あの子のよろこぶにおいを探し、あの子があたたかなイジワルでさらりと流したくなる、そんなジョークを無意味と知りつつくみたてることが愛だ。つい数値と根拠に逃げ込み、客観性なるものさしを「盾」にしたがるおろかな自分を甘く律するムチこそ、愛という名のアメだ。


永遠で純粋で無条件で嫉妬しないもの。それが「愛」だと神はのたまうけれどそんなの嘘っぱちに決まりきっている。なぜって僕が今「愛」ということばで呼ぶものは壊れやすくて欲望だらけでこんなにも見返りの欺瞞に満ち嫉妬にあふれているのに、どうしようもなくかけがえないのだ。けがれなき誓いのリングやブーケは手に入れられなくても、この誓いはれっきとしてリングでありブーケなのだ。
奇跡と呼ぶにはあまりにおさなく、手前勝手としか言いようのない欲求に溺れそうになりながらそれでも必死で相手のことをいとおしく思う。何よりも大切にし優先順位をいっとう上に置いてあの子の寝顔を守ろうとする。だからこそこの愛は、いやでもやっぱり、まったくの夜中にどうしても声を聞きたくなってアドレス帳を開いてしまうからこそこの愛は。ちから強くかがやく。電車の近づいたふみきりのように胸がカンカンとたかなる。


運命なんてなんだ?運命なんかであるものか?誰だそんなバカを言うやつは。どれだけ理屈をこね重ねたところでこの出会いは所与の運命なのだ。運命だからこそ僕たちは死にものぐるいであがく。運命なんてなんだとうそぶく。そうしなければこのときめき、恋のまたたきは「何をしてもしなくても一緒、ただそこにあるもの」として石ころになり、めくるめくその価値をまたたく間に減じてしまうのだから。
ざまあみろ。夢中になること夢中でいることに人はいつだって命がけなのだ。はじめからそこにある「さだめ」に目もくらむ光と何ものをも引きよせ離さぬ強い重力をあたえることができるのは、唯一人間の、僕の、意志の力ではないか。ざまあみろ運命め。


あんばい加減が肝心だ。部屋をかたづけあたため、落ち度のないよう整え、だけれど計算づくの生活感をスパイス程度にキモチ残して、頃合いを待つ。終電に乗って訪れる24時のチャイムが鳴れば何気ないそぶりで僕はドアを開ける。プルタブを引きグラスに注ぐときめ細かな泡立ちがこぼれおちる。土曜日の夜がゆるりと溶ける。ふみきりの赤がやわらかくよいやみをつつむ。


以上、「彼女」に対応することばを全てヱビスビール「YEBISU THE HOP」に置き換えると、今現在の僕のキモチになる。これから思う存分デートしようと思う。