メロリン

しんぴのアルファベットといえば何をおいてもQだろう。なんだか、ふしぎ。なんとなく、ミスティック。たとえばオバケのQ太郎。彼がA太郎でもB太郎でもなくましてや杉作J太郎ですらなくQ太郎であったという事実が端的にそれを示している。どうでも良いが弟はO次郎だ。


そのせまさ、つかいにくさに関して右に出るトイレはないと評判いちじるしい我が家のユニットバス。足りない面積にむりやり設置したからか何なのか、あまりに劣悪な立地のせいで「便座の中ぶたを上げた状態でキープできない(すぐに落ちてくる)」なる状況に日々悩まされる毎日だ。この中ぶた問題は極めて深刻で、私の「小」ライフを根底から脅かしている。男性なら容易に想像がつくと思うが中ぶたをおろしたままでの放尿はとにかくターゲットが狭い。


洋式便器(男性用でなくて便座バージョン)に立ちションをしたことのない淑女のみな様に老婆心ながら説明申し上げるならば、中ぶた一枚分。尿を安心して放出できるかどうかにこの違いがきわめて重大なかげを落とす。中ぶたによって減じる便器開口部の面積などたかだか10%前後ていどのものだろうが、ヒトとチンパンジーのDNAは98%以上共通ながらその遺伝子発現、表現形にはおどろくほどの相違があるようにその差は数値を超えて人間にせまる。中ぶたありのトイレで小用。私たち男性はコインを打ち抜くガンマンのこころもちで臨まなくてはならない。便器ひとつに込められた人間工学のふかみを感じる。


ならいっそ座って「小」を足せば良いじゃない。と考える方もいるかと思う。もっともな意見だと私も同意するし、飛び散るのは、それを掃除するのは我慢ならないから男性も座っておしっこすべき派が女性の中に一定の割合で存在するという声も聞いたことがある。しかしやはり立って、立っていたしたいではないか。酔うと立ちションをしてしまう私の深層心理がうごめくのだ。そもそも「ん音便」の力を借りて発せられる「ションベン」ということばの力強く雄々しいひびきに見合うだけのエネルギーは、立ちながらの尿にしか込められないのだ。


加えて、前述(id:shoshoshosho:20070412)のとおりうちの便座に腰かけると右側が極端にせまい、すなわち立ちションに際しては世界の左右がひっくり返り左が極端にせまいため通常どおり便座正面へ対峙すると、どうにも左の肩から肘にかけてが壁に接することになる。これがまことにストレスフルであり私はいつもついつい右側へ。20度から30度ほどのシフトをもって便器へ臨み狭すぎるオープン領域におそるおそるのきもちで尿を放つ。気分はアーチェリー日本代表、wiiなどなくても家庭でできるお手軽アスレチックの完成である。


しんぴのアルファベットといえば何をおいてもQだろう。真上から見下ろしたところを想像していただきたい。右へシフトした私からかがやく虹が放たれアーチを描くとき、尿と便器はQを描く。楕円形の便器をあらあらしく分断する棒線として尿がある。私が便器に向かいおしっこをたしなむと、そこにはしんぴが一つ生まれやがて一つ消え、Oだけが残る。