ハナコトバ

思わせぶり。私が行ったところで何の役にも立たない、お皿のない家で食べるプッチンプリンのプッチン突起と同じレベルで完膚無きまで役に立たない。そうと分かってはいるのだけれどひとまずは病院に足を運ぶ。患者さんに会って胸の音を聞いてちょびっとだけお薬を処方しカルテを書いてとまあ、そんな憲法記念日の昼下がり。


私の勤める病院では各種オーダーを入れるのに電算処理システム、つまりコンピュウタアを用いるのだが、ログイン画面の左上端には日々「今日の花、そしてその花言葉」が表示される。全く持って何の役にもたたないサービスだ。これさえあれば無味乾燥な職場ライフにささやかな花が咲きますヨネ!(花言葉だけに、ナンチャッテ!)と言わんばかりのその押しつけがましさ、反省なき善意という名の悪意、それこそはまず治療すべき病理ではないだろうか。
などと私が毒づくと思ったら大間違いだ。はっきり言ってこの花言葉システム、非常になごむ。メルヘンを是としファンシーと遊ぶ私にとって花言葉は今や朝一番の楽しみ、不動のなごみポジションを勝ち得ている。


今日も愛する花言葉を確認した僕は病院を出ていつもの待ち合わせ場所に向かう。まっすぐな通りに面した小さな喫茶店。道の奥からは彼女が歩いてきて50mくらいになったところでこっちに気付いてアッてなってちょっとはにかむっていうかふっと、控えめなんだけれどたしかに嬉しそうな何とも言えない表情になって、彼女より目のいい僕はもちろんとっくに彼女に気付いていて彼女のそのアッをみつけるのがいつもすごく楽しくて僕は彼女の表情をとらえるのが世界イチ上手だって自負しているからそれだけでもう幸せで、ヤアなんていう初めのあいさつの一つ前から会話を交わしていられて得したような嬉しいような気分になる。
いきなり一人称を「僕」に変えてまでお送りした妄想もここまで行くと我ながらきっぷがよいが、とまれ、5月の私はそれと同様な喜びを電算システムのモニター左上端に抱いている。1日に1つだけという思わせぶりな「じらし」プレイに思うがまま翻弄されている。


思わせぶり。5月3日は憲法記念日の花はタンポポ、その花言葉は「思わせぶり」とのことだ。タンポポに思わせぶりを感じとったことのない私はふしぎな昂揚につつまれた。タンポポにケンポウ、どことなく音も似ているではないか。ポとか特に、というかポを中心に、ポが主人公で。祝日に病院へ行くのもなかなか悪くないなと思った。