CALPIS

初夏の訪れを告げるのはいつだってカルピスウォーターへの意欲の高まり!今日あちいな喉かわいたなあ、ふと自販機を見たときカルピスウォーターに目がとまるようになればもう季節は立派なアーリー・サマーなのだった。つまり今日をもって私の歳時記は春から夏へシフトを始めた。周りを見渡せば外人さんなど既に男性はハーフパンツにサンダル履き女性はヘソ出しキャミソールにサングラス。先日までに相当な量のカルピスウォーターを摂取したに違いない。


カルピスウォーターはめぐる。くり返す季節のいとなみを人生と呼ぶならばこの時期に決まって訪れるカルピスウォーターとは、あるいは一種の年輪だ。去年も一昨年も夏の呼び水となったのはカルピスウォーターのペットボトルだった。


ただ同じ季節をなぞるだけなら脳がないというものだが私も日々成長を続けている。今年からは焼酎割りである。家に帰り着き氷を満たしたグラスに芋焼酎1のカルピスウォーター1、雑な飲み方だがこれがあらあらドンドコショ実に良い。思春期を詰め込んだ甘酸っぱい味覚をオヤジの味わいとしてよみがえらせる、そんな焼酎マジックを私はダンコ支持する。
カルピスを焼酎で割る、それは青春の喪失の一つのバリエーションなのかもしれない。陳腐なものいいだけれど失ってみて初めてその存在が措定されるものとして「青春」はあって、だからつまりカルピスウォーターの味はそのひとつの具体例なのだ。焼酎で割ってみて初めてわかるカルピスウォーターの切なさ。


何が言いたいのか自分でもよくわからないが持ち前の精神年齢の幼さ、未だに他人を信頼しきれない自意識の未熟さ、望ましい26歳のあり方をひとつも達成できていない自分。通過してもいないにも関わらず青春時代を喪失してしまったはがゆさ。それらを含め今の自分は結構いい感じで年をとれているのではないかと思う。そして酔いがさめたらここを読み返して、いい感じなどとほざいている自分を殺したくなるのだと思う。
どれだけ年をとってもカルピスを飲み続ける大人でいよう。