しっぺい

疾病利得という言葉がある。病気になることで得をする場合、人は自分ではそうと気付かなくとも無意識のうちに症状を作り上げるというものだ。たとえば病をかかえることで周囲から同情をしてもらえる、直面している他の悩みから解放されるといった具合。詐病とも異なり、患者は「本当にそうなのだ」という気持ちで病状を訴える。


昨日のことなのだが、私は同期の研修医Iそして同期の看護師Aさん、社会人1年目同士のフレッシュな酒席を囲んでいた。花小金井の駅近く、塩梅の良い焼き鳥に種類こそ多くないが充実した日本酒のラインナップを誇るなかなかに好ましい居酒屋。


さてここで、昨夜にみるAさん(22歳女性)の行動、すなわち「脱いだ上着を前から羽織るようにして上半身を隠す」について考えてみたい。そういえばその「コート前から羽織り」いつもやってるよね。と聞くに、「この方が落ち着くんだもん」とAさん。店内が寒いわけでなしまたAさんの服の露出が極端に高いわけででもなし、つまりコートの前側羽織りに実際的な意味はない。しかしただ「気が休まるから」という一点でAさんはコートを前から羽織るのだという。


このように上着を羽織ることで落ち着くことは人間一般に見られる生理的・生来的な嗜好なのかといえば答えはノーだろう。そんな行動をとって「落ち着く」と述べる乳幼児・小児はそう多くないと思われる。Aさんの行動は成長の過程のどこかで獲得されたものである可能性が高い。
ヒトが無意識下に何かの動作・習慣を身につけるとき、その理由として「その方が得だから」を想定することができる。たとえば、口は悪いけれど周りから憎まれていない、むしろ愛されているような人は往々にして「毒舌を吐いたあとで一瞬ニコッとほほえむ」というテクニックを無意識に身体化している。語義を広げて言えば、そこには「言いたいことを言っても嫌われない」という形で一種の「疾病利得」が発生している。女性が「もうやだぁ〜」と男性の肩を叩くの仕草や、2時間でも3時間でも紅茶だけでおしゃべりできます!みたいな不可解な習性も「愛されたい」から惹起される疾病利得と捉えることができるのではないか。うむ、今酔っぱらいながら適当なことを書き散らしているが、なかなか良いことを言っているような気がする。


コートを前から羽織ることで得られたAさんの疾病利得は「落ち着く」だったが、その背景に潜む願望とはいかなるものだろうか。羽織ることには手間もかかるし羽織っている間のアクティビティは多少なりとも制限される。それらのコストを加味してもなおベネフィットが勝るという、無意識下に欲望される何かしらの利点。それが何なのか、全く案が浮かばない。昨日の飲み会の途中から、今日の昼間もずっとそのことを考えていたのだけれど、どうにもアイデアが出てこない。誰か良い考えがあったら教えてください。