ポケットに薔薇

思えばポケットベルの着信音が嫌いになった。所属病院で支給される職員連絡用ポケットベルのことだ(うちの病院はPHSではなくて未だにポケベルを使用している)。あまりに頻回ベルで呼ばれる日があると、何も鳴っていなくとも空耳が、着信メロディー「愛の讃歌」が聞こえてくるような気がする。そして人はポケットベルの着信音が嫌いになる。


認識ひとつで世界は変わる。だからポケベルのことを「ポケット・ベルサイユ」だと思えば問題は解決する。そんな確信が昼下がり、私の脳天を打ち抜いた。徹底的なマインドコントロールにより「ポケベル」と思い浮かべる場面では常に「サイユ」を付すこととする。必要とあれば違法薬物の力を借りることも辞すまい。ポケット・ベル…サイユ。それだけで小憎たらしい電子機器は優雅なバロック建築へと早変わりする。
また救急外来からベルだよー…。違う違う、救急外来から来たのは白馬に乗ったベルサイユだ。また病棟からベルだよー。いやいやこれは白いタイツのベルサイユ。宮殿が馬に乗るかタイツをはくかについてはこの際どうでも良い。こんなものは雰囲気だ雰囲気。
さらに工夫を加えよう。ポケット・ベルサイユまで歩を進めたのだからもうひと踏ん張り、どうにかして「ポケット・ヴェルサイユ」まで認識をねじ曲げることができれば…ああ、完璧だ。もはや私はポケベルを持ったフランス人なのではないか。目の前に広がるトリアノン、優美な庭園。


現在は本来の所属と異なる病院で精神科研修をしているためポケベル、ではなくてポケット・ヴェルサイユとの再会はしばらく先になるだろうが、今から入念なイメージトレーニングを積んでおくことは決して無駄でないだろう。待ってろよ12月。