株式

詳細は不明だが、大学生活におけるかなりの割合を占めた、時には全てのウェイトを占めることすらあった思い出のバイト先が赤ペン先生でおなじみの一部上場企業にあっさりと(かどうかは知らないし提携なのだろうが)形式の上では買収された。春になればレンゲ咲き誇るはるけき故郷の村が資本の圧力に屈しダムの底に沈むような、スラム街で過ごした幼なじみが家族の幸せのために成り上がりの金満家のもとへ嫁いでいくのを、ただただ見送るしかできないような、私の胸はそんな気持ちでいっぱいだ。


どう背伸びをしても「ふつうの人」「ふつうの発想」の域を出ることができない私は「奇形」「破格」が無条件に好きだ。標準からはずれる方向性が世間一般から見てプラスであろうとマイナスであろうと、規格からはみ出してしまったもの・こと・人が宿す魅力は何よりも蠱惑的な誘蛾燈として私のハートを引き寄せる。明かりは胸のスクリーンを照らす。
その点からあれすれば私の勤めた、そしてこの度晴れて買収の憂き目を見た愛すべき「T大受験専門」学習塾は、組織としてのあり方、too to 構文でしか語り得ないほどの個性に溢れた社員の方々、とんがり過ぎにも程があるバイトの同僚たち。ゆがみにゆがんだ学習環境の中で育てられた(しかも驚くほどに頭脳明晰な)「生徒」という名の奇人集団。あらゆる点で標準/常識からはよほどかけ離れたハイエンドかつエキセントリックな奇形種たちでごったがえしていた。所属する多数はもちろん「常識人」たちであったが、そんな彼/彼女らがある意味肩身の狭い思いをするようなふざけた環境が、理想的な形で実現されていた。


あのビルに入れば濃厚でオリジナルな空気が、独特の湿気とにおいがいつだって鼻をついた。ガラパゴス諸島に生きる動物たちが外界から切り離されいつしか独自の生態系を育んだように、あるいは深海に暮らす生命体が外界を生き抜くため私たちの想像力をはるかに超えた形質を獲得したように、あの塾にはあの塾だけに許された独特の生命が息づいていた。つまり私はあの場所が、そこで暮らす人たちが大好きだった。別段その元バイト先がなくなるわけでなし、おそらく営業形態が変わることもなし、「大好きだった」と過去形でものを語る必要はないのだろうけれど、買収の知らせを聞いて去来したもの悲しさが、つい私の中の心理的な時制を引き戻す。私はあの場所が、そこで暮らす人たちが大好きだった。


素直に行きたいんだから真の教育とかユニバーサルとかわけわかんないこと言ってないでT大行こうよT大。っていう雰囲気が大好きだったんだけれど(そうやってうそぶきながら本気で学問を教えてる人がいたりするのも面白かったしかっこよかった)、あの雰囲気が変わらなければいいなあ。そう願う次第だ。