M-1に見るプロテスタンティズムの倫理と先祖返りの精神

今更だがM-1グランプリの感想。当日は所用で見られなかったので遅ればせながら3日遅れで。


僕は日頃ぜんぜん漫才を見ない全く熱心でないM1ファンなのだけれど、全体の印象として「漫才が20年巻き戻った」という印象。最終決戦に残った3組が3組とも目新しいことを何一つしていない。「Aという文脈をA'という"意外な"形で返す」という当たり前すぎるフォーマットをいかに上手に実演するかだけの勝負。特にキングコングなんか必死の形相。いかにも「職業漫才師」然としたやり取りがひたすら繰り広げられていた。漫才の正しい評価基準を残念ながら僕は知らないけれど、紳竜時代のテクストに根拠を置く「教科書通り」のレッスンをいかに減点無く実現するかどうかの減点法にしか見えなかった。いわばそれはフィギュアスケートの採点システムであって、そこに既存の価値観をひっくり返すタイプの感動は絶対に生じない、生じるわけがない。そんな番組だったら他にいくらでもあるだろう。確かにその評価基準の中ではサンドウィッチマンが「必死さ」をメタ化し軽妙に演じて見せた点で頭ひとつ抜けていたとは言えるが、全体に不満が残る。結局このグランプリがが求めているのは「古き良き漫才ブームの再来」なのか(と言いながらちゃんと笑いながら見たが)。
何なのだろう、このやり切れなさというか、物足りなさは。ここ数年のチャンピオンに見られた圧倒的なまでの大発明や大爆笑が今回のM1には全く見られなかった。第2回大会(あろうことか笑い飯フットボールアワーが負けて「ますだおかだ」がチャンピオン)以来の、私の心を揺さぶらないグランプリだった。


正確な再現ではないがオール巨人キングコングにしたコメント。つまり、新しい発見をするのではなくて今までに培われてきた漫才の文法や笑いのテクニックを正確かつ適切に再現できれば最高の漫才になるはずで、その意味で君たちの漫才は素晴らしかったし、そういった練習量の透けて見える漫才が僕は好きです。これが今回を象徴していたように思う。動物化漫才だ。最終決戦に残ったのは全て、自分たちで「面白い」の基準を作るタイプではなくて、型通りのボケ/ツッコミを抜群の完成度で披露するタイプのコンビだった。僕たち、こんなにいっぱい禁欲的に練習してきました!私は練習量でグランプリが決まるコンテストは大嫌いです。
良かった点は、審査員。去年までより格段にコメントが面白くなった。一言一言に頷かせられたし、コメントをしつつ笑いをとれるすばらしい話芸をもった人ばかりで番組の一部として十二分に楽しめた。あと相変わらず今田耕司はすごかった。


以下、勝手な採点と寸評。


1:笑い飯(95点)
文句なし、誰が何と言おうと圧倒的に面白かった。貫禄の横綱相撲(無冠だけれど)。舞台に二人がいる間とにかく込み上げる笑いが留まらず、今でも「ガガガーガーガーガガ」と思い出すだけで思い出し笑いをこらえきれない。漫才前のPRで「ダブルボケという発明」なんていう紹介を受けていたけれど、そんな次元ははるか昔。どっちの思い描くロボットの方がかっこいいのかについて4分間ひたすら「上昇しない弁証法」が繰り広げられていく様はまさに圧巻。発展しないコード進行の中にグルーヴのうずまく、上質のファンク・ミュージックがそこにあった。随所に「お前がそんなことを言うならこの設定をやめるぞ」というスパイスをはさむことで、相手が提案した設定に乗ることで初めてコントは発生し進行する。そんな漫才の、いわば「基本文法」を一段上から批評し笑いに昇華するという離れ技を見事な形で、成功させていた。「二人」が「マイクの前」で「会話をする」というそれぞれの要素の必然について考え尽くされている。これこそが対話だ。漫才だ。
この人たちは漫才を「構造」としてとらえる視点が図抜けていて、なのに題材に選ぶのは子供じみたものばかり、そこがまたバカらしくて良い。今回のネタの場合なら「ピピピーピーピ」「ガーガーガ」「ウィーン、ガシャ」をひたすら反復するという極めて口唇的かつ幼児的な喜びは何ものにも代え難い愉悦を呼び起こしていた。ぶっちぎりで一番面白かった。あと半年はこれで暮らせる。


2:POISON GIRL BAND( 88点)
このネタ見たことある。鳥取と島根の「モノ」化という発想は秀逸。普通に暮らしてたら絶対に思いつかない。大竹まことの「そこから先の驚きがなかった」というコメントに表されているとおり、「モノ」化という神がかったひらめきに満足してしまってその先にアイデアが無かった、そのせいで最後にはじけきれなかったという印象。
松本人志も言っていたし毎年思うことなのだけれど、この人たちは10分あったらもっと面白いと思う。上の笑い飯についてで「弁証法」という言葉を使ったけれど、時間が長くなればなるほどこの人たちの対話は弁証的に舞い上がり、摩訶不思議かつ普通なら到達不可能な地平を見せてくれる。んじゃないでしょうか。


3:ザブングル(79点)
動きと表情が「過ぎる」せいでそこに頼りっぱなし。肝心なボケ・ツッコミ内容が凡庸だった印象。つっぱしる加藤歩に対するツッコミの人の緩急はすごく気持ちよかった。


4:千鳥(91点)
大悟はただとにかく天才。「象と飼育員」という設定だけでも最終決戦に残った3組の「じゃあ○○の設定やってみよう」という形式をはるかにしのぐオリジナリティを感じさせるけれど、それを「捨て設定」として象を密漁から守る人、和民の客、子犬とさらにとんでもない設定を次から次へ連発。才能の桁が違いすぎる。
ラサール石井が「最後の展開は余計だった」と言っていたけれど、僕は最後の展開も大好き。


5:トータルテンボス(84点)
面白いけれどボケもツッコミも常識の範囲内。いつも思うのだけれど、この人たちの一番のウリ(?)なのか、彼ら独特の言語感覚や言葉遣いって「この言葉ってもの珍しくてエキセントリックだから人前で使ったらそれだけで面白くね?」という気持ちが先にあって、会話の文脈がそこに従属させられている感がものすごく強い。言いたいだけが勝ち過ぎていて、つまり漫才としての必然性がない。ボケも過去のテクストを参照に日能研で作られた「漫才ドリル」をひたすら解いていたらいつか思いつけそうなものばかり。単純に笑いの強度が足りていない。


6:キングコング(87点)
テンポがよくて動きあり。縦横無尽な動き、愛嬌のある表情。合いすぎるくらいに合った息。つまりこれもトータルテンボスと並んでドリル的な、教科書みたいな漫才。面白いけれどどこか一本調子だなあ。なんて思った。おそらく西野って頭がよくて、きちんとした批評能力をもった人なんだと思う。ただ「マジメ」な部分が前面にドカンと出ていて、何だか笑えない。ピエロも実は大真面目なんでござ〜い、だから笑ってくだされ〜。みたいな。そんな必死なところ見せられて誰が笑うのか。
同じ必死でも、去年の品庄はバカであることを貫いていたけど、ひょっとしたらキングコングって面白いことを本当に文字通りに「カッコいい」ことだと信じてるんじゃないだろうか。彼らはある意味で一番素直に古き良き「漫才スター」に憧れているコンビなのかもしれない。既存の価値観を疑うことがお笑いの必要条件なら、その時点でもうキングコングが面白くなるワケないと思うのだけれど。と言いつつ僕、西野好きです。


7:ハリセンボン(82点)
Don't touch me !!はめちゃくちゃ面白かったけれど他はイマイチ。ただトータルテンボスキングコングと「先人たちの漫才をいかに再現するか」という職人的「技術」をみせつける組が続いたところで、自作の価値観で勝負している感じがすごく好きだった。
近藤はるなのツッコミが一本調子すぎる(それが面白いとろこもたくさんあったけれど)。箕輪はるかは天才。


8:ダイアン(78点)
デビューしたての頃のダウンタウンみたいな漫才(松本人志も「ツッコミが浜田そっくり」と言っていた)。
You Tubeで見た他の漫才はもっとのびのびしていた面白かったのに。


9:サンドウィッチマン(89点)
テンポが良くて見ていて気持ちいいしまあ面白いんだけれど、悪い意味ではなくて「エンタの神様」に出ていたら丁度良い感じだろうか(現に出てたし、今のエンタからしたら図抜けて面白すぎるけれど)。最高に良い意味で、駅前の大衆食堂で昼飯でも食べながら見ているのが一番似合うタイプの漫才だと思った。日常生活にほどよくて幸せな笑いをもたらしてくれるような漫才。五目チャーハンがピッタリ来るタイプの漫才。かっこいい。好きだ。でも僕の見たいM1じゃないんだな…。


最終決戦
3組とも「この人たちでなければこのネタはやれない」っていった必然性がなくて、つまりネタの新鮮さとか脳みそがぶっ飛ぶような面白さとかは悪い意味で完全に横一線みんな同列。なのであとは技術の勝負になるのかな。僕は技術は全然分からないけれど、4分間で緩急や話運びがいちばん達者なように思えたし、「カッコいい俺たちを見ろ!」ではなくて「みなさん私たちみたいな道化者で楽しんでいただけたら幸いです」というサービス精神を強く感じたのでサンドウィッチマンに一票。