平素恐怖症

平素よりお世話になっております。日々格別のご高配を賜り、誠にありがとうございます。とまあこのような感じで他科コンサルト(この患者さん、そっちの科的にはどんな感じか診てあげてネ!の意)はその幕を開ける。平素、平素、平素、平素。とにかく一言、平素より。これさえ文頭に付せば大抵のコンサルトはつつがなく進行する。もっと大きい声で!そこで照れてて意味あんのか!豚でももっときれいに鳴くぞ!研修医が4月に初めて浴びる洗礼。それは脊髄反射が「平素より」と無意識に発音できるようになるまで延々と上級医に締め上げられ続けること。ヘイソヨリ!ヘイソヨリ!オイキムチ!ヘイソヨリ!カキノタネ!ヘイソヨリ!私たちが踏み入れた世界はハイソサエティならぬ「平素サエティ」と骨の髄まで染み込ませるための訓練期間は実に3ヶ月に及ぶ。いずれ別れる彼氏のイニシャルをいきおい肌に刻み込んでしまうのと同類の、誇らしさに満ちたしかし消えない悲しみがそこには満ちている。この悲しみに免じて、絶叫の途中、晩酌にあてているおつまみが紛れ込んだことを許していただきたい。


そういえば学生時代、同級生のシキオカくんとだったか、医学の世界で人並みにやってくのはつらそうっていうか俺には無理だからコンサルト科でも立ち上げたい。そんな内容の与太話をしたようなしなかったような記憶がある。
科の業務内容は至ってシンプル、A科からB科、C院からD院へのコンサルトの中をとりもつ、煎じ詰めればこれに尽きる。ワープロPHS・電子メールからなる「三種の神器」を駆使し、ただひたすら病棟内外のコンサルトを取り仕切る。患者への対応や病棟の運営に追われる煩雑な日常業務の中、コンサルトするのも気が引ける偏屈で気分屋の症例(ちなみに、この科では「症例」とはドクターのことを指すヨ!)に搦め手で迫るのだ。基本的に毎日のカルテに書くのは、あの先生にはこの言い回しが効果的、最近あの先生の家に子供が産まれたらしいと言った情報。当然の事ながらこれはプライバシーに関わることなのでカルテ情報の管理は極めて厳重に行われる。また諸先生方へのお中元・お歳暮の手配も、これを広義のコンサルトとして当科が引き受ける。好みのビールをかぎ分ける手法などはコンサルト科独特の重要な手技の一つだ。学会帰りに求められる看護師さんへのお土産なども同様である。
なにせ周りに同業者がいないわけだからこれは一種の独占企業状態。もう将来的には私は教授、プロフェッサーだぜやったー。つまり実習に回ってきた学生に最上階のレストランで昼飯をふるまいながら、やさしく「コンサルト科成立の歴史」をレクチャーする私。一方レジデントには教育的な意味を込め、てめえコンサルトなめてんじゃねえ!ほら言ってみろ、ヘイソヨリ!ヘイソヨリ!と大上段の構えで接し恐怖政治を敷く。


教科書。コンサルテーションの教科書など少なくとも医学の世界には1冊も存在しない。著者となれば思うがままの内容を好き放題の内容書きちらかせるわけだ。巻頭の序文に「初版刊行にあたって」をしたためることができるのって何だか誇らしそうだ。冒頭は「平素よりお世話になっております」以外あり得ないだろう。『標準コンサルト学』『STEP コンサルト科』など学生用教科書は勿論、一生を通じて接し学ぶべきバイブルとしての『The Principle of the Consultation』(上下巻、全800頁程度の予定)を上梓することはこれ、いちコンサルト科医師としての本懐と言えるだろう。当然ながら講義の指定図書は自著である。毎年やってくる学生に対し教科書を購入させ試験問題もいけしゃあしゃあとそこから出題、学生の財布から得られたあぶく印税で彼らに昼食を還元するエコロジーな私。


ゆくゆくは外科・内科の分科制も視野にいれる必要があろう。緻密かつ円滑なコンサルトには内科・外科医師の特性を十二分に頭に入れる必要があるからだ。万が一にも患者さんに不利益があってはならない。
「飲みニケーション」なる言葉が日本社会の旧弊を描くネガティブな言説として登場して久しいが、宴席が人間関係を良好にし職場の風通しに一役買うことは揺るぎない事実であり、コンサルト科としてこの点は看過することの出来ぬ重要事項だ。つまり弊科業務の一環として各科の酒席に顔を出すことが必要となる。昼のコンサルトに夜の会席、忘年会のシーズンは寝る間もない程に激務を極めるだろう。だがしかしこれも全て患者のためである。医療のために行為者が体を壊すこと(たとえば放射線への過剰曝露、肝炎ウィルスへの感染)は敬虔な犠牲の精神などでなく英雄の名を借りた単なる愚挙であり、十分なリスク管理は大切な医師の資質の一つとされる。私もその点には全面的に同意する。しかし肝臓を壊してでも、患者のために尽くしたいと願う気持ち自体に罪はなかろう。
Spleen Indexが20を超え、さらには白血球数が3000程度と低値を示しているあたり、胆管系に何らかの爆弾を抱えている可能性もなくはない。そんな私が敢えて進もうとする茨の道。それコンサルト科である。