おはよう

曽我部恵一ランデヴーバンドのライブ。九段会館。前半の『sunny day service』全曲ギター1本弾き語りは思い出と発見が入り交じってとてもふしぎな気分。10年前と違って高音はかすれ、しかし肉感と説得力の増した声。ひたすら音程のとりにくそうなメロディ。元々はずれっ調子な上に、後半こそエンジンを上げてきたもののまだまだ本調子になりきらない不安定な声帯が代え難い魅力として響く。改めて思う、この人は徹頭徹尾「声」と「うたごころ」の人だ。


セットリストはご覧の通り。
http://d.hatena.ne.jp/live-sokabe/20080210/1202605649


後半のランデヴーバンド、これはもう「おはよう」を再発見したステージと言うほかにない。「おはようございます」ではなく「おはよう」。おはようの中すやすや眠る幸せの手触り。「おはようございます」に代表される、職場など対外的場面におけるパブリックな挨拶ではなく、まぶしい朝にまぶたをこすりながら布団をまくるとき、同じ太陽の下で目をさました大切な誰かにそれが家族であれ恋人であれ、気兼ねなく油断だらけで発するおはよう。私的でささやかな幸福の挨拶。気の置けない人と交わすあの、「ございます」いらずで安心しきったあくび混じりの。それはどれだけ豊かであたたかなできごとだろうか。お喋りなおはよう。春と土のにおいのするおはよう。あなたと交わすおはよう。


家族と暮らしていたあの頃には毎日当たり前に通り過ぎていた、しかし今となっては憧れの「おはよう」がステージの上にあった。今さっき聞いたばかりの弾き語り、『sunny day service』で10年前の曽我部恵一が描いていた観念的な歌詞の世界、それは無影灯に照らされ時計の針が止まった静謐と静寂の世界だった。一方アルバム『おはよう』が映し出すのは私が、大切な人びとが何事もなく日々を暮らす風景だ。時のながれを歌う音楽。朝に目を覚まし、仕事に励み、魚を買い、鼻をかみ、手紙を書き、湯を沸かし、お金を振り込み、衣服を洗い、紅茶を飲み、ネコをなで、夜に眠り朝はまた訪れる。日々のいとなみ。時は流れ私たちはその中を生きる。そんな世界を代弁しようとするなら「おはよう」以上にふさわしい言葉はないだろう。
アンコールの最後を飾ったのが「24時のブルース」であった(涙ものの名演!)ことも、つまり曽我部恵一が初めて「時間」と格闘した際の(←アルバム『24時』)ひとつの到達点が幕引きを彩るに選ばれたことも象徴的であったように思う。抜群のはまり具合だった。逃れ得ぬ「時間性」を強い覚悟と溢れるよろこびで受け止める。静かな夜に訪れたのはそんなライブ。音楽はマンホールに流れ暗い海へと出、朝を迎える。おはよう。おはよう。おはよう。


期待をはるかに上回る素晴らしいライブだった。
チケットを譲ってくれたとりのこさん、ありがとうございました。