鹿

とっくに東京に帰ってきてはいたんだけれどパソコンの調子が悪かったり友人の結婚式があったり(おめでとう!)飲み会だったりパワーポイントいじっていたりととにかく忙しくて、日記を書く時間はないし学校ないし家庭もないしヒマじゃないしカーテンもないし、ついついはてなから遠ざかっておりました。


奈良の雑感なのですが、特に東大寺周り(学会会場が近かった)は本当に鹿が多い。鹿だけで1200〜1300頭を数えるらしく、また聞くところによると鹿は200年生きると奈良県民になるらしいですから、街を行く人のほとんどは鹿ないし元鹿なわけで鹿銀座とはまさにこのこと(古都だけに!)といった風情を漂わせていました。せんとくんはどこにもいなかった…。




鹿はカメラ慣れしきっていました。最近の鹿せんべいは中学生の修学旅行で食べたそれよりもはるかに美味しくなっていてビックリ。繊維っぽさがなくなっていたし、昔は新聞紙めいたものが混入していた記憶があるのだけれど、現在の鹿せんは我慢すれば1枚食べきれるクオリティ!




こちらが200年生きて奈良県民になった鹿。近鉄奈良駅の周りにはもう少しヤングな元鹿があふれていました。



古都のおもむきと言うのでしょうか、確かに東京、さらには京都や大阪とも異なった一種独特な時間が奈良には流れているように感じました。和は尊い、というシンプルなメッセージすら「和をもって尊しとなす」と語らざるを得ない余りにもってまわった斑鳩の空気は私たちの遺伝子に脈々と組み込まれています。私の友だちがね〜と言いながらあからさまに「自分の悩み」を相談をし始める女子や、なんぼ自分の方が相手を好きになったとしても、何とかして相手から「好き」と言わせ恋愛ゲームのスタート地点で優位に立とうとする女子など、私たちの日常生活をとりまくもってまわったアレコレ。それすなわちいにしえの情緒、沸点に達しはじけようとする奥ゆかしさのつれづれ、つまり女はみんな鹿なのです。これは馬鹿にしている(鹿だけに!)のではなくて、女性はみんなバンビーナすなわち小鹿ちゃんなのだという、フェミニズムに溢れた思いやり深い発言なのです。和をもって、尊しとなすのです。


同じ日記にまとめて書くのも申し訳ないのだけれど、同級生のコケシウチくんの結婚式にお呼ばれしてきたのも印象深い思い出になりました。いい雰囲気だったなー。シシオドシくん本当におめでとう。




パイヅツミくんのケーキカットを撮影するカメラマンさん。結婚式の雰囲気を少しでも味わってほしいけれど本人の写真を載せるのもはばかられるので…おめでたさのお裾分け!
奥に見えるのはメーテルでも亡霊でも200年生きた鹿でもなくて披露宴の司会者です。