今日のテーマはあくまで「おっぱいバレー」

他人事に寝首をかかれるというか対岸の火事に手を噛まれるというか、私にはとんと縁のない話と思っていたはずの気苦労が目前にある。医師社会という閉鎖的かつ上下関係に厳しい環境にあって、これはひとつの通過儀礼なのかもしれない。つまりパワー・ハラスメント、略してパワハラというやつに私は直面している。「私のことをこのブログに書きなさい」というのだ、とある先輩医師が。


気を損ねる訳にはいかない。何せ相手はヤクザ者、恋人が肩だか腕だかにその人の名前を入れ墨したことがあるという、裏道の小料理屋、陰のある女将みたいなエピソードを持つ女医だ。恐ろしいことに実話だ。え〜、だってむこうがほりたいっていってきたんだも〜ん。あ、そ、そうなんですかぁ…。
「その筋」の女の名前として「アケミ」ほど相応しいものはない、このことにはみなさんも異論はなかろうから、以降その先輩医師をアケミ(仮名)と呼ぶことにしたい。ヤンキー先生というと「昔はやんちゃもしたけれど今は立派な先生」という含みで語られることが多いが、アケミの場合は「やんちゃかつ医師」という、現在進行形のヤンキー先生なのだ。気を損ねる訳にはいかない。


アケミはこの私が研修生活を過ごした病院で今も働く、人望厚く朗らかで後輩の指導にも厚い、尊敬すべきママさんヤンキー。そして素直に美人だ。医師ゆえにブルジョワ、そして先の入れ墨エピソードに見る通り生粋のヤンキー。かくしてマイカーはベンツ。しかも信頼ある情報筋によれば、車体後部に記された「E320」的なグレード表示を「AKEMI」に付け替えたオリジナル・カーなのだという。マーチを買うのが関の山、その納期が唐突に1ヶ月遅れるというなめられまくりにも関わらず「あ、しょうがないですよねー僕なんて武蔵野のクソムシですから…ゲヘヘ」と答えることしかできない小市民きわまりない私に、「AKEMI」は途方もない暴れはっちゃくとして映る。それにしても恋人とい愛車といい、とにかく名前を刻むのがお好きらしい。高いところ(鉄塔や陸橋など)に登ったらとりあえず車のキーを取り出し、自分の名前でペンキ塗装を削るみたいなものだろうか。やはり思考回路がヤンキーだ。



ここでおっぱいバレーについて考えたい。アケミの話とは何一つ関係ないが、アケミより綾瀬はるかのおっぱいについて考えたいのだから仕方ない。
綾瀬はるかがおっぱいを出すのかあるいはせめて「生徒達だけには見せた」ていの編集なのか、映画を観ていない私には何を断じることもできないが、大事なのはそんなところではないと思う。この映画の何がすばらしいってそれは、「その映画を観ている間は、綾瀬はるかのおっぱいのことを堂々と考えていて良い」点でしょう。しかも公衆の面前で。映画の尺が2時間なら2時間たゆまず全力でおっぱいのことをあれこれ考えたとして、それが全くいやらしさを帯びない。周囲の女性が私を含めた男性たちを見る目も自然と「これはそういう映画だから構わないわ」となるはず。全世界の男どもにとって、何より宴席に乗じてはおっぱい見せてくれと平気で発する私(本当です)にとって、これは相当にうれしい状況だ。


この映画のうれしさはそこに留まらない。会話の流れ次第では一緒に映画を観た人のおっぱいを観られるかもしれない、ことによれば触れることができるかもしれない。やっほーい。ばんざーい。
バカ言ってんじゃないわよ、そんなわけないじゃない。多くの女性はそう思われるかもしれない。もちろん私だってそう思う。触ることも見ることも叶わないのが事実だろう。それで構わないと思う。
しかし私たちが、少なくとも私が大切にしたいのは「一緒にいった女の子のおっぱい、が見られる/に触れられるかも…」という「予感」そのものの手触りなのだ。これだけはおぼえておいてほしい、それについて思いを巡らせるだけで目の前がかがやく、そういったことが世の中には、あるのだ。そんな「たからもの」の時間がたったの1800円、学生なら1500円!今世紀最大のお値打ち価格に違いない。ばんざーい。



話をアケミに戻そう。殺されるから。綾瀬はるかのおっぱい、そこから生まれるあまやかな予感のことだけを頭に浮かべながら、それでもアケミの話をしよう。名前を彫られるから。
アケミ先生からは様々なことを教わった。病棟での立ち回り、医学的なものの考え方、手技にまつわるあれこれ。しかしその様々の中で、私がもっとも勉強になったと感じたのは情熱大陸の話だった。葉加瀬太郎がもじゃもじゃ頭でバイオリンを弾いているあの番組。
アケミはとにかく忙しい。一児の母であり、妻であり、かつ地域の脳卒中を一手に引き受ける野戦病院の第一線ではたらく内科医でもある。要領の良い人なのでそれでもてきぱきと業務をこなし、保育所に息子を迎えに行き、と息つく暇もない生活を送っている。いやみでも何でもなく、人間としての強さに頭が下がる思いだ。


(ここで疲れたのでもう一度綾瀬はるかのおっぱいに意識を集中させます。)


ばんざーい。
多忙を極める生活で、本当に大変なときそれでも弱音をはけないとき、アケミは情熱大陸を思い浮かべるのだという。情熱大陸の取材だったらこの瞬間の横顔を使うに違いないわ!と空想しながら場を乗り切るらしい。脳内には葉加瀬太郎も鳴らされている。空想というより立派な妄想である。エアー「2カメ」が自分の横顔をとらえているから…と思ってもうひと踏ん張り。もはや「あっち側」すれすれである。


ばんざーい。ことわりもなくすみません。気がついたら意識が楽しい方に飛んでいました。
それにしてもこの「ひとり情熱大陸」、かなり有効なストレス対処法ではないかと思う。再来週の情熱大陸で放送されると思えば現在の困難も何とかしてやろうと、自然にモチベーションが湧いてくる。ストレスなり困難なりに対処するいちばん有効な手段は立ち向かうことでも逃げ出すことでもなく「それを楽しむこと」、これは私の勝手な持論のひとつだ。先日述べた「ファンクラブ活動」(id:shoshoshosho:20090412)も私なりのストレス対処法のひとつ。そして「ひとり情熱大陸」は困難を楽しむ方法のひとつとして、相当完成されているように思う。必要な道具は想像力だけだしひとりぼっちでも実行可能。入れ墨も車の改造も真似はできないけれどこれならば、と以来ひそかに真似ている。人生の楽しみ方を知っているその一点でますますアケミ先生はすごい。
それともう一つ。さっきから散々おっぱいおっぱい書き散らしているが、困難の先に「おっぱいの予感」を措定することもまた。愉快に世をやりすごす知恵となるのではないかしら。


まとめ。
世の中にはストレッサーがいっぱい。だからこそ「おっぱい」も「ファンクラブ活動」も「ひとり情熱大陸」も、使える手駒は多い方が良いですね。
おお、きれいにまとまったな。きれい過ぎる気もするがたまにはこういうのも良いでしょ。ごきげんよう