左派

なんだかなくなってきてるんだよなあ、きちんと書ききる体力と集中力が。ブログを、というか文章を。起承転結を組み立てモニターに向かい、必要なパーツをひとつひとつ用意しながら全体をうねらせ、言葉のテンポとリズム。ひらがなとカタカナの配置。そんなあれこれに気を砕きながらゴールに向かっていくあの感じ。それがどんどん失われている。ちょっと長い文章を書くときも、手続き記憶だけで自動書記的にワープロを打っている気がしてしまう。足りない時間のせいにするのは簡単だけれど。実に切ない。


愚痴はともかくとしてウォシュレットの話をしよう。体力と集中力がないからさくっと書いてさくっと切り上げよう。
4月に越してきた職場借り上げ築1年のマンションはなんとウォシュレット搭載、つまり自宅で過ごす私のおしりはいつもつるつるのピッカピカだ。大切なことだからもう一度言う、ピッカピカだ。勘違いする人がいるといけないから念のため確認しておくと、カッピカピではなくてピッカピカだ。わかるよね。いい大人だもんねみんな。いやだからこういう言葉遊びをしているからさくっと書いてさくっと切り上がらない、わかっている、これは悪いクセだ、ピッカピカのクセだ。もっと意識を集中させて一気呵成にピッカピカものがたりを書き上げなくてはいけない。


何度やっても右のしりに当たる。これが目下の悩み。ウォシュレットの「おしり」ボタンを押すでしょ。ウィーンチョロチョロシャージャジャジャジャ。必要ないとは思いながら一応解説すると、ウィーン(ノズルが出てくる)、チョロチョロ(よく知らないけれどノズル周りを洗っていそうな水の音)、シャー(いよいよウォシュレット発射)、ジャジャジャジャ(おしりキレイキレイ)という経過を経て私のおしりがピッカピカになる。はずなのだがどうにもこうにも右のおしりに洗浄液が当たる。ど真ん中にでーんと、便器の正中軸と私の正中軸がぴたり一致するようまっすぐ腰掛けているはずなのに。日々微調整を欠かさぬ、日進月歩の私なのに。


そろそろ2ヶ月になろうかというトイレ生活でようやく気づいた事実。右のおしりだけ優先的にピッカピカ現象の必然性。それはアワノビルにあった。


http://d.hatena.ne.jp/shoshoshosho/20070421/p1


その昔にも一度触れた話だ。アワノビル、研修医時代に済んでいた寮のトイレはとにかく狭かった。限られたスペースにユニットバスを埋め込みギリギリのバランスで便器を置いたものだから、それは限りなく壁際に配置されていて便器の真正面に立って小用を足そうとすると決まって左肩から上腕にかけてが壁にひっついた。ひんやりとした圧迫感がどうにも耐えがたかった。
その不快感から逃げるため、自然と体を傾け小便をするようになった私。思えば大便時にも同様のストレスを抱えていたはずで、小便をするときの左は大便時の右だ。つまり何が言いたいかと言えば、便座に腰掛けるときの私は右肩から上腕が壁に密着するのを避けるため、知らぬ間に「やや左寄り」のポジションをとるようになっていたらしい。


もうお分かりだろう。そんなアワノビルの思い出は無意識の手続き記憶となって私の身に染みつき、いや、パンツにウンコの染みが付くとかそういことではなくて、私というパンツに手続き記憶という名ウンコが付くという比喩的な意味で言っているんだけれど、とにかくそれは言ってみればパンツの染みとなって未だに私を「左より」に座らせているわけだ。かくして便座のど真ん中から発せられたウォシュレットの放水は今日も私の右しりを打つ。打たれた尻はえくぼをつくりますます愛らしく、ピッカピカしながらときに恥じらうのだった。いつも愛されおしりブログ!恐るべきは手続き記憶の失われがたさ。めでたしめでたし。