パスタ

初めてのニューヨークは初めてのアメリカ合衆国でもあり、極東の島国で育ち「秋刀魚にいい具合のあぶらが乗ってて嬉しいねえ」なんてなつつましい価値観の中でぬくぬくと育った身には到底正気の沙汰と思えない、それこそ気の利いたアメリカン・ジョーク的なボリュームとカロリーでせまる彼の国のパスタやサンドイッチ。それらが何らかのメタファーであるかのような、胃もたれする程に刺激的な経験がたくさんできた。今は手元にないのだけれど、今度の機会に写真をアップしたい。


今日は道中に読んだ「1Q84」がべらぼうに面白かったということを。以下、ネタばれです*1


村上春樹の小説って朝のテレビ・ニュースの星座か血液型占いみたいなもので、「そう読みたい」「そう解釈したい」と思えばどうとでも読めるところがまったくもって苦手だ。もっと言えば嫌いだ。文学的素養も知識もさっぱりない私には、氏の文章に多発する「まるで○○のように。」という「たとえコーナー」が(そのクオリティには舌を巻きつつも)比喩のための比喩になっているように思え、何なんだここは上手いこと言ったら座布団のもらえるあれか、笑点なのかと、どうにも好きになれない。また勿体ぶったようなその実何も言っていないような文章、たとえば「そこには確かに、「何ものか」に到達するための具体的で豊かな強度があった」みたいなやつも肌に合わない。その文章、いる?と苛立ってしまう。と言いつつ好きじゃないからハルキは読まないなんて言おうものなら世間様から「き、危険思想のモチヌシ…!」と非難され、原理的ハルキストから石ころを浴びせられかねないと、クラス内のポジションを確保するのに必死な中学生の心もちで、ちょこちょこ読んでみてはやはり馴染まないという。


どうせ今回もニュートラルでユニセックスな感じでありつつ男子としての程良い性欲と健全な知性をもった主人公が白ワインの似合うシンプルなパスタ(ex.ブロッコリーとあさり)でも食べながら洗いたてのチノパンみたいな匂いの女性と必然性があるようでないようなセックスをしているその間に世界には「何か」としか言いようのない「何か」が訪れ、肌になじんだ羊飼いの帽子とかロシアの湖の透明さとか洋書ならではの紙質とか、まあそこら辺のものが「何か」のメタファーとして用いられつつ。やれやれ。みたいな内容だろうと思いながら読んでいくと、まあその予想は何一つ裏切られなかったことにも驚かされながら、それにしてもとにかくやたら滅法面白い。今まで一度もそんなこと思ったことなかったのに。相変わらずの文体はやはり鼻につきつつも、筋立てと構成に膝をたたき続けてあっという間に読了してしまった。


さてここから、本当にネタばれです*2


別段オリジナルな感想があるわけじゃないんだけれど、言葉による世界と価値の創出、正義と暴力の切り離しようのない関係性、人が集まることで不可避的に生まれる宗教的あるいは政治的感性、それらの対立とテロルの意味、調和への可能性と希望がごった煮にされたばかでかい小説だった。この作品はそのカオスを実現するために「小説の中で書かれる小説」を2つ用意している。作中で完成される「空気さなぎ」と天吾が長編小説として執筆する「青豆の章」だ。青豆の章はどう考えても天吾の書いた小説(つまり小説内小説)だと思うんだよな。


まあそんな気がするってだけで根拠も何もない話ではある。でもまあそう考えてもまったく矛盾のない形で「1Q84」を読むことは可能だ。唯一2人がすれ違いそうになった高円寺の公園の場面でも、青豆が天吾を認めただけで、天吾は青豆を見つけていない。あれは自身の小説に託した天吾の夢想なのではないか。青豆は、もちろん天吾が深く愛し現在も焦がれている女性でありつつ、<宗教><女性><肉体>について語るために召喚されたある種の道具=言語なのだと思う。(小説内における)現実世界のどこかに暮らしているであろう実在の「青豆」とは別の、天吾の脳内にだけ住む架空の殺し屋、青豆。冒頭のタクシーで青豆がなぜかヤナーチェックを知っていたのも理由は明白、天吾がヤナーチェックを知っているだけだ。


「リトル・ピープル」なる何ものかが威力する世界を言語化するために、つまり「リトル・ピープル」について語ることでその脅威に対抗するために、天吾が生み出した長編が「青豆の章」なのだろうと思う。「1Q84」という言葉もたしか青豆の章でしか出てこない。これもまた天吾の造語なのだろう。「空気さなぎ」の脱稿後、天吾が長編小説に取り組んでいることは作中に明示されている。
何も「そうも読めるよねえ」とアクロバットのためのアクロバットを弄したいわけではなくて。利点があるの。この「小説内小説」という視点を導入すると「もの(小説)を書くこと、もっと言えば言葉を扱うことは世界と交わることであり、世界を変革することであり、つまりは人と人がつながることである」という「1Q84」を通底するもっとも大きなテーマがクリアになると思うの。


ということで他にも色々思うことがあるけれど、簡易感想おしまい。
他の春樹も読みなおさなければならないか…文体嫌いなんだよなあ。

*1:正直ネタばれしても別に良いじゃんと思うんだけど、一度このセリフを使ってみたかった!

*2:このセリフ、意外と気持ちよかったからもう一回使いたくなっちゃって。てへへ。