Perfume 直角二等辺三角形TOUR ファイナル

やれフジロックがどうだ大学時代はオーケストラサークルに入っていただ、あんなもん全部「ふり」だから。しちめんどくさいカモフラージュ。うんperfume「も」聞くよ〜っていうための。ぜーんぜん興味ないからな、perfumeの音楽以外なんて。なんとなく「も」の方がかっこいいからそうしてるだけの話で。うんperfumeも聞くよ〜。ほらかっこいいじゃない。
あ〜ちゃんは顔がでかすぎて顔ぬりかべだとか、かしゆか水木しげるぬらりひょんに似ているとか*1、そんな心にもないことを書いたこともあった。けれどそれらだって全て「ふり」に過ぎず、キリシタンが拳を握りしめながら口ではイエスを冒涜するのと一緒で心の中では血を流しつつ泣く泣くね。そういうことってあるじゃん、素直になれなさが逆説的に好きを語る一幕っていうのかな…あるんだよ!世間様がそうしろって言うから俺だって泣きながら『BUDOUKaaaaaaaaaaN!!!!!』のDVD踏んでんだよ!踏んでねえよ!

前置きが長くなったが、というわけで行ってきた。知人のあふれ出るご厚意からチケットを譲っていただき直角二等辺三角形TOUR。初めてのperfumeライブはしかも追加公演ファイナルだったのだ。ありがとう平成のマザー・テレサ
何度か足を運んだことのある会場だった。けれどもうオーラっていうのかな、口をあんぐり開けて待ち構える横浜アリーナにたどり着いたとき、そこには既に、身震いするようなムードがあふれ出ていた。
友人のAKと待ち合わせ会場へ。仕事の都合でやむなく遅刻だったので会場内の移動はガラガラの楽勝だ。物販に寄りつつホールへのドアを開けると、そこには「湿気」と呼んだ方がふさわしいようなめくるめく熱気。生き物の体温。

超満員の中なんとか席を探し出しステージ上に目をやるとおかしい。2人しかいない。あ〜ちゃんが見あたらない。
はっそうか、あ〜ちゃんは顔ぬりかべだからステージ上を探すんじゃなくてステージそのものに擬態しているんだ!と今いちど目を凝らしても一向に気配なし。…おかしいな、ひょっとして体調壊したのかな…昨日今日全然ニュース見てないけど、ついにフライデーされたのかな…。
とあらぬ不安がよぎりもしたけれど、冷静になれば何のことはない。ここ、あ〜ちゃんの体内なのね。口をあんぐり開けたあ〜ちゃんの中に入ったらそこは湿気に満ちていたっていう。さすがperfumeあ〜ちゃんアリーナとは人類のサイズを超越したにくい演出!
まずいよなあ、こんなネタバレしたら次から行く人の楽しみがなくなっちゃうよなあ…ってファイナルだから大丈夫か、てへへ。(ちなみに、ここから先は全然ネタバレないよ!)

実際の彼女はむしろ小柄に感じサイズからしてキュートで、かつ10年後も人前でお喋りしてそうな磯野貴理子的なタレント性も小気味よかった。のっちは持ち前のユニセックス感もありつつとびっきり肉感的であるという嬉しすぎるアンビバレンツがオヤジ心へ実に染み、私の頬はゆるみっぱなし。そしてぶさかわいい業界に舞い降りた天女かしゆかが走り、跳ね、笑うたびに私の心臓はピョン吉(@ど根性ガエル)的にドッキンドッキン脈打ち前列の兄ちゃんの後頭部をこづき続けた。
他に言葉はない。いやあ幸せだった。

perfumeを好きな気持ちに一番似ているのは「『彼女』をかわいいと思う気持ち」だ。通常のアイドルが要求する文法とは異なり、つまり瑕疵のない「偶像」に定点から憧れるのではなく、現実にいる生身の人間をどうやって好きになるのか、そのために自分はどう変容していくのかという動的体験こそが何より問われる世界。自分の見方次第で目の前の女の子はいくらでもかわいくなるしその逆もしかり。無限の可能性へ開かれた喜びと不断の自己変容を迫られる困難に挟まれた世界。それは板挟みゆえの喜びに満ちた。
perfumeの3人に「飛び抜けたぶっちぎり」がいないのはそう言った意味での必然なんだろう。それぞれが「理想の姿=完璧なアイドル像」から三者三様の魅力的なやり方で欠け落ちている。だからこそ愛らしい。天を仰いで理想に近づこうとするのではなくて、人間の世界で同じ目の高さに代え難いよろこびを見出す楽しさ。それが3人のステージには凝縮されていた。

今日のコンサートにあったのは「神様仏様を拝む」というよりは「お地蔵様やお墓にお供えものをする」的な、ちょっとした生活密着感だった。定められた作法を神の前で披露するのではなく居合わせた群衆はそれぞれに自分の村のあるいは自分だけの踊りを踊る。
3人のかわいらしさは「射す後光、どうやっても届かないまぶしさ」ではなくて「おめかしした彼女の晴れがましさ」であって、あのときステージ上のたった3人は観客一人一人にとっての「私だけのあの子」だった。長いMCコーナーは、perfumeが神様仏様じゃないことの証明で、なぜなら神様は望むほどにいつだって無言だからだ。

典型的な「アイドル」あるいはヘタな「アーティスト」にありがちな垂直方向の力学ではなく、どこまでも水平方向に広がる人間くさい営みがあったように思う。教会でステンドグラスの逆光に射され神に祈るのではなくお墓に水をやり花を添えながら、あいつはダメな奴だったよなあ、なのにホントにくめなくてさあ。ゲラゲラ。そんなたぐいの。
涙と笑いの墓参り。人様にチケットを譲っていただいておきながら、感想が「perfumeコンサートは墓参り」なのもどうかと思うが、今日アリーナに集まったみんなはいい墓参りしたんじゃないでしょうか。最高だったぜ!