グラビア・倫敦・日本の湿気

月刊酒井若菜を買ったら彼女のオリジナリティあふれるかわいさやらしさありがたさうれしさにもうメロメロですよ。という内容のことを前回書いた。その続きで「グラビア写真集を買う」ことについて。グラビア写真集を買うのって何だか気恥ずかしくて、もっと言うなら「後ろめたい」ような。中高生の時分に芽生え始めた健全な性欲が種々のエロ・アメニティ購入に自身を駆り立てたあの頃、レジの前で無性にドキドキしたあの感覚。その根源には「この感情って恥ずかしくっていけないものなんじゃないのか…」という、罪の意識と言ったら大げさかもしれないが何かこう「後ろめたさ」があったように思う。直接にエロいものを買う場合はもう、そういったたぐいの逡巡は訪れなくなった。だがしかし「グラビア」の中にはあの頃の甘酸っぱい背徳感がいつまでも保存されている。後ろめたさのタイムカプセル。


この前行ってきたロンドン旅行の写真を挟みながら。着いた夜はハリーポッターみたいな曇り月の空でした。

雑誌のグラビアで見る分には磯山さやかとか岩佐真悠子とか*1たまらない、もう白味噌じたてのお雑煮くらいに大好きだ。それでも写真集購入という段になるとついためらってしまう。だって恥ずかしいんだもん。「このグラビアの人が好き」という気持ちは、性欲という(各人の嗜癖こそあれど)基本的にはユニバーサルなものと異なり、圧倒的な「プライベート」だからだと思う。
おそらくは「慣れ」と「開き直り」で大部分が解消される問題だろう。恥ずかしさなんて反復する刺激暴露で簡単に摩耗する。けれど困ったことにそれでは意味がない。グラビアを見て「ああ、たまらないなあ!」と感じるとき、そこで味わっているのは「後ろめたさ」(対外的な「恥ずかしさ」はこれと同根)の快感でもあるからだ。あれこれと写真集やDVDを買いまくっていては後ろめたさや恥ずかしさがすり減り、グラビア写真が「洋服や水着ありのエロ本」になってしまう。ダメダメ!せっかくの心地よい後ろめたさがなくなるだなんて、もったいないお化けが出るよまったく。
たまに買ってはそのたびに、本棚の後ろめたさにゾクゾクしながら。そういうスタンスで買う写真集はページをめくるのも実にこそばゆく、それがまたくすぐったい愉悦を生む。そんなしあわせ*2


一番雰囲気の良かったパブ。チャーチル・アームというお店です。

休暇を利用してロンドンに行ってきた。ひたすらにパブでビールを補給しながら予定も立てずにぶらぶら気ままなほろ酔い一人観光。面白い町だった。
強く感じたのは「この国は(過去の)栄光に堂々と胸をはっているなあ」ということ。過去に大英帝国がなしとげた偉業の数々が美術品として博物史として、金銀財宝としてまばゆいばかりに陳列されていた。1ミリのぶれようもなく確立されきったナショナル・アイデンティティが「ロンドン」というでっかいミュージアムに展示されているような。中でも印象に残ったのはTower of Londonに展示されていた王冠。女王がかぶるあれ。近くで見ると本当にビッカビカなのよ。イギリスの栄華がこれでもかと飾り込まれたとんでもない代物だった。かげりなんてかけらもない。
悪趣味だ。こんなものを「イギリス(王室)の栄光」として堂々と開示するなんて。正直なところそう思った。これが作られるためには世界規模での圧倒的な規模の略奪が、貧困者からの強烈な搾取が行われたはずだ。名前も声も残さぬ無数の人々(しかもその大多数は植民地の他国民!)が、この王冠の陰で人生を苦しみ、死んでいったことを考えるとこの王冠はあるいは原爆に負けず劣らずの「負の遺産」だろう*3

まあその「イギリスの栄光」がたとえば海洋術や天文学を整備したことや近代産業の原型を作り上げたこと、今を生きる私がその「巨人の肩」に腰掛け歴史上他に類を見ない快適な環境でHot Chipを聞きながらぬくぬくとブログを書けている状況を鑑みれば、お前ら歴史の中でひどいことばっかしてきてマジ最低だな!とナイーブに言うわけにもいかず、かの国はやはり巨大で偉大なわけだ。
それでも思う。そういった偉業に宿る「陰」なんてまるでないことにしてビッカビカの王冠には陰一つありませんのよ!と誇らしげに胸を張る姿勢は、これは多分に好みの問題なのだろうが、どこかいびつではないだろうか。申し訳なさと後ろめたさで毎日窒息しそうになりながらそれでも、溺れそうなのはあっしのせいなんでがすよゲヘヘ…と手もみを続ける。そんな日本的な卑屈メンタリティに学んでくれるところが多少はあっても良いのではないだろうか。
卑屈。申し訳なさ。こればっかりは自身がある。申し訳ないという気持ちなしに暮らすことなんて私には不可能だ。人を好きになったときにもまず「俺なんかが好きとか言って、ちょっと申し訳ないよな…」だから。


Tower of Bridge。朝早く活動しすぎて一番乗りになりました。


テムズ川にはカモメ(?)が飛んでいました。ネプチューンマンのマスクは見あたらなかったな。

そんなこんなでイギリス人*4は実に不幸だ。彼らは月刊酒井若菜をめくる時のむずがゆい快楽を理解できない。何かを主張するとき好きになるときに「この気持ちってすごく恥ずかしいものなんじゃないのかな」という逡巡が、「陰」への配慮がナショナル・アイデンティティとして欠け落ちているからだ。グラビア写真をめくりながら身もだえする、あのときの気恥ずかしいうねりを感じられないなんて、これ以上の不幸はないよ。うんわかってる、本当はいっぱいあるよ!
イギリスに限らず西洋のグラビアって直截的に性欲を刺激するものが多く、今考えてきた「気恥ずかしさ」にフィーチャーしたものをあまり見かけない気がするのだが、実際はどうなのだろう。

たった数日の滞在で知ったようなことを書いたが、それにしてもロンドン旅行すばらしい経験になった。忘れていた自分の思考・嗜好の日本っぽさ、湿っぽさに改めて気づくことができた。
その不細工さゆえに酒井若菜に相好を崩し、グラビア写真集に後ろめたくてくすぐったい愉楽を覚え、人を好きになったときにまずは何だか申し訳ない気持ちになる。
なんて湿気が多くて卑屈な人間性だろうか、実に愛らしい。アイムジャパニーズ、これぞ日本的メンタリティ!ではなくて単なる自分の趣味か。私としてはかなり「日本的」な部分が大きいと思うのだがみなさんいかがですか。


イギリスっぽい写真でラスト!

*1:この2人よりも最近の人を知りません…

*2:ちょっと話はずれるけれど、スピッツに『おっぱい』という曲があってサビの歌詞が実に秀逸、「君のおっぱいは世界いち〜」とひたすら連呼するのだが、歌うとこれが実に後ろめたくてこそばゆい。これも実に幸せです。

*3:死者の数で行為のひどさが数量比較できるって言ってるんじゃないよ!

*4:ここでは、イギリスの栄華を臆面なくまっすぐに信じる人、という意味です。イギリス国籍の人全員ではありません。