M-1 2009

20分しか時間がないが、今日を逃したら熱がさめるので今この20分で書けるだけ書く。


漫才コンテストなんだからパンクブーブー優勝はやむなし。フィギュアスケートと一緒で採点基準を一つ一つ丁寧に満たしていけば必然的に優勝が決まる。必要なボケの数・難度、ツッコミのバリエーション、会話のテンポなどといった「採点基準」が明文化されていない点でフィギュアとは異なるものの、コンテストの基本姿勢は「チェックリストをより完全なかたちで満たしたものが優勝」であることはゆるがぬ事実だろう。それが一番上手だったのがパンクブーブー。もちろん誰にでもできることじゃない。才能に恵まれた2人が採点基準に対する研究に継ぐ研究を重ね、血を吐くくらいに練習し倒し、時の運までを見方につけてようやくたどり着ける一等賞。採点員はお笑いコンテストの思想・機微を知り尽くした人たちだから、一等賞の判断がパンクブーブーから動くことはありえない。


2人の漫才は面白かった。すなおに面白かったし声をあげて笑った。げっらげら笑った。けれどそれは、どうにも心に響かなかった。
カラオケの採点と似ているのかもしれない。音程が1回ずれたらマイナス何点、ビブラートが何秒入ればプラス何点、最小音と最大音の落差がどれだけあればプラス何点、といった基準を満たしていけば100点になるあれ。
パンクブーブーからは「優勝してやるぜ(=採点基準を網羅してやるぜ)」が前景に立ち、「面白いことをやるぜ」が影を潜めている印象を受けた。結果として完成した漫才はそれは見事でデリケートなもので大爆笑をかっさらっていったけれど、それはコンテストで優勝しようとお笑いチェックリストを一つ一つつぶしていった結果の、副産物としての大爆笑だった。最初から会場を大爆笑させる、俺らが一番面白いと思っていることをやってやる。そういう類の思想から生まれた大爆笑ではなかったと思う。繰り返すけれど、それは悪いことじゃない。コンテストなんだから優勝するために必要なことを過剰なくらいに完璧にこなしてみせた2人はすごい。超笑ったし、感動的だった。


そこで鳥人でありチンポジである。笑い飯。僕は鳥人で比喩でも上手いこと言ったでもなくまぎれもない鳥肌を立て、最後のチンポジに心底感動した。
今回決勝に出演した9組の中で、唯一彼らだけが「俺らが一番面白いと思っていることで会場中を爆発させてやるぜ」という強烈な光をはなっていた。これはM-1というコンテストだから満たすべき基準があるのは分かっているが、本気で面白いことやったら審査基準なんて余裕でパスだろう!と考えていたのかもしれない。いや、そういう「コンテスト用」という発想自体が彼らにあるのかどうかすら怪しい。民俗館、ハッピーバースデイ、宇宙戦争、そしてチンポジ。あいつら気持ち的にはタキシードで臨むべき神聖なコンテストにハダカ蝶ネクタイでのこのこやって来ているみたいなもんだ。


面白いってなんだろう。笑えるってなんだろう。M-1は分裂した場所だ。つまり「コンテスト」でありながら「数値化できない面白さ」を期待される場所として、見事に引き裂かれている。
僕にとって面白いっていうことは「価値の鎖から逃れ、可能な限り痛快なやり方で自由に振る舞う」ことだ。既存の価値・道徳の体系から意識的に逃避し遊ぶことだ。だからそもそも面白さをコンテストになんてできるわけがないと思う。それでもやはりどこかで「一番」がほしいというわがまま。M-1を引き裂いているのは僕だ。
笑い飯だけがぶっちぎりで面白いことだけを考えながらコンテストを征服する、というやり方でその分裂を受け止めている。それは「コンテストを笑い飛ばす」ことで「コンテストを制圧する」という離れ業であり、親殺しのにも似た一種の「悪意」と呼べるのかもしれない。だから僕は笑い飯が大好きだ。優勝してもしなくてもつねに輝き続ける孤高のきら星。彼らが来年「お笑いコンテスト」という矛盾を堂々と生き、真正面から攻め崩し、そして「お笑いコンテスト」を殺してくれることを祈っている。


20分たったので終了。推敲ゼロだぜ!