デート考 1

女性2人(共にヘテロセクシャル)でお茶を飲んだり買い物したりすることを、彼女たち自身が「デート」と称するのをよく耳にする*1。今日は○○ちゃんと青山デートしたよー(ハート)とか△△カフェでデート中(デコデコした絵文字)。男はデートをこういう意味合いではつかわない。今日は□夫と新橋の立ち飲み屋でチンコ下ネタ全開デート(きんたまハート)という用例は存在してほしくないので、これは多分に女性特有の語法だと思う。僕はこの「女性2人」を表す「デート」という言葉づかいに常々違和感を感じており、もっと言えばいけすかないと思う。そんな旨をtwitterでつぶやいたところ色々な意見が聞けたのでまとめがてらその違和感について考えてみる。


「デート」の何がダメなのか。まず第1に本来の内容とまるで意味が違うので紛らわしいし面倒。○○ちゃんとデートしたの〜。といった話を聞く度に「ああ、普通はデートって異性とのイベント*2に使うものだけど、こういう風に女性同士の会合を「デート」って表現することがあるよな。この話題が続く間はそっちの方の「デート」だと思ってデートにカギ括弧をつけて相手の言ってることを聞けば良いってことね。ああメンドクセー」と認識しなくてはいけない。これがとっても手間!相手あっての言葉でしょう!
遊んでてさあ、ご飯食べてさあ、お茶してさあ、とものの言いようはいくらでもある中で敢えて「デート」という言葉を選ぶ、そんなチョイスの妙ってあるでしょ?洒落た会話を楽しんでるでしょ?的な「どや顔感」がこれまたにくたらしい。



第2にファンタジーの摩耗。
デートという言葉は(僕の認識が古いだけかもしれないけれど)想い合ってる異性同士が一緒の時間を過ごすこと、そこから生まれる温かさや緊張、幸福への予感、性的なファンタジー。そういったものを全て包含する言葉でしょう。しかし「デート」と言われてしまうと「2人で会えばとりあえず成立」みたいなことになってしまって、なんつうのかなあ、味というかファンタジーというか、そういうのが立ち消えてしまう。妄想が駆動する訳がわからない程の多幸感が損なわれてしまう。


これはとても大変な問題で、通例どおりにデートという言葉を使う男(私)サイドにしてみると、「ああ、向こうはデートという言葉を友達と普通に会う時にもつかうんだよな」「特別な言葉じゃないんだな」とせっかくのデートのありがたみが減じてしまうのだ。
いつもより映画が面白くなるんじゃないか、手ぐらいつなげるんじゃないか、ことによればオッパイ触れるんじゃないか、そして何よりこの子ともっと深く分かりあえるんじゃないか。そういった恋にまつわるファンタジーを背負って「出会え、いくさじゃ!」…アドーンワナミサシィーン!くらいの武田エアロスミス信玄の心意気でこちとらデートに臨んでいるというのに、女子たちときたらやっこさん。つね日ごろから「○○ちゃんとカフェデート(犬マーク)」くらいのノリで「デート」という言葉を乱用していらっしゃるとは!
いや分かる、向こうもそれなりの気持ちで来てくれているんだろう。けれど、それにしてもちょっとすり減っちゃてるじゃんか「デート」にまつわる幻想がさあ、隙や憂いの入る余地のないパーフェクトな夢を見たいじゃん…というこの気持ち。


twitterでこういう意見をいただいた*3

@kakoooon デートって言葉の持つ重みを女性側から切り下げることで、モテない男子でも気軽に誘えるようにする平等精神に基づいていると解釈すればいいんですよ!

何そのポジティブシンキング!たしかに「女子たち、同棲の友人同士でも「デート」って使うくらいにハードル下がってるんじゃ…だったら俺がデートに誘ってもあるいは…」っていう感じはあるかもしれない。
でもこれって結局は「女子たちの運動会」に一人だけ男が割りこんで100m走をやるようなものだから、そこで一等賞をとったところでそれは競争相手を間違ってるよなっていう。ファンタジーを伴うデートをするためには「(他の男性ではなくて)自分との時間を作ってくれた」という妄想が必要で、そのためには他の男たちと一緒に走って彼女にアピールしなくてはいけないんだから。女性たちの用いる「デート」の業界で徒競争しても始まりませんわ!


というわけで続く。次回は思うことその3を書きます。

*1:特に異性の恋人つまり「彼氏」がいない場合に顕著でしょうか

*2:ホモセクシャルの人の機微は全然わからないので、ヘテロセクシャル前提で書いています

*3:はてなid:kyoro-jrtwitterでは@kakoooonより