デート考2

ヘテロな女子2人同士で会うことを「デート」と呼ぶ風習が私は苦手だ、ということを前回書いた*1。今日はその続きを書こうと思う。前回は、私が「デート」*2を嫌う理由を2つ挙げた。

  1. 従来の意味で使われる(異性との)デートと紛らわしく、面倒。
  2. デートにまつわるファンタジーが摩耗する。

今日はその続き、その3について考えてみる。なお「デート」で私が指しているのは、女性たちが女性同士で過ごすという行為自体ではなく(それを否定するつもりは全くない)、それを「デート」と呼ぶ慣習のこと。大事なことなのでもう一度いうけれど、女性同士で楽しく過ごす時間自体には否定的な感情はないし、もちろん揶揄するつもりなんてない。気になるのは「デート」という言葉遣いそれ自体。


私が「デート」を嫌いな理由その3。寂しいから。
デートは誰のものかって、そりゃあ男女お互いのものだろう。それぞれが指す意味内容はちがってるんだと思うけど*3、とけ合いたくて2人で会ってるのにそれじゃああんまりだからさあ、互いに意味をすり寄せあってよりよい理解に至りましょうよ、というのがデートの思想だと思う。それぞれ持ち寄ったファンタジーに共通解を探してはよろこび、相違点をみつけては笑う。


男(というか私)からしたら「デート」って、互いに意味を歩みよらせましょうよの姿勢で向き合っていたはずの女性から、一方的にそっぽを向かれちゃったように感じる言葉だ。えぇ〜、そっちだけの都合で意味を改変して女の人同士のイベントも「デート」言っちゃうのかいサザエ ?! 僕たしかに磯野家においとましてる身だけどそこは相談くらいしてくれても…。そういうことですよ。変えるにしたって合議の上で変えて欲しいじゃない、デートのシニフィエ
これはすごく寂しい。お互いに幸せな共同作業を行っていると思っていたのに、相手が一方的に「今日からデートって言葉は「デート」という意味でもつかうことにしました!よろしこ!」なんて告げてきたらそれはもう途方もなく寂しい、よろしこ!につっこむ余裕もないくらいに…。
言っておくけれど、この寂しい…という愚痴はラブレターだ。俺はまだデートっていう言葉のファンタジーを信じていたいし、その強度もすごく大切なんだよ。なぜって二人で(男女で)向きあっていきたいんだもの…。というラブレター


さてさて、その3まで考えたところで*4処方箋。
女の人特有(なのかな?)の、「気になる人・憧れている女性と会うときのときめきや胸さわぎ」という意味内容を表す言葉がないのが問題だ。そういう感情をひっくるめて女性が「意中の女性」に会う行為には現在「名前」がつけられていない。なればこそ手持ちの辞書から最も近似精度の高い言葉つまりデートが採択され、はれて「デート」が誕生したのだろう。
なので案としてはa「デートのシニフィエの変更を認め(つまり「デート」的な使い方アリ)、同性に対しても使用可能な言葉とする」、b「もっぱら女性たちの間で用いられる「デート」を表す、別個のシニフィアンを作る」が考えられる。私はもちろんb派だ。何か良いことば、ないだろうか。

*1:http://d.hatena.ne.jp/shoshoshosho/20100128/p1

*2:女子2人での会合を指す場合は「デート」とカッコつきで表記しています

*3:松本人志「10組のカップルがいたら10通りの恋愛があると思うやろ、それが違うんやなあ、10組のカップルがいたら20通りの恋愛があるんだよ」ソースは2ちゃん

*4:前回のエントリにたくさんいただいたコメントhttp://d.hatena.ne.jp/shoshoshosho/20100128/p1#cも踏まえた上で