Woofer

その男を見る機会に僕は2回恵まれている。1度目は去年の夏。明るく脱色された髪にグラデーションのかかったレイバン、大胆すぎる開襟で着こなされた柄ものシャツ。高架化工事の終わっていない当時、「開かず」業界でキム・ヨナばりのパフォーマンスを見せ続ける武蔵小金井駅の踏み切りにトラップされ、オープン・カーの彼は少々いらだっているようだった。手塩にかけて改造したのだろう、ウーハーからの豊かな重低音が僕を含めた通行人のボディにガンガンと響く。わかりやすい程のヤンキー趣味で丁寧に味付けされたいかにも聞き心地の良い「アゲアゲ」なトランス。まあアホがご自慢の車でイチビってただけの話だが不思議と印象に残る光景だった。
そして先週、高架化工事が終わり大幅に踏み切り渋滞の緩和されたはずの同じ場所で、彼は変わらずトランスに体を揺らしていた。バカ過ぎて半年間アクセルの踏み方を忘れっぱなしなんじゃ…*1。ドゥーンドゥーンドゥーンドゥーン、響くウーハー、よみがえる身体記憶。わかった、あんた十分カッコイイよ…。


大音量で好きな音楽を、車の外に聞こえる音量で(←ここがポイント!)、自分の格好よさアピールの一環として流す。内心バカにしながらではあるが、そこにある「自意識のなさ」が僕は結構好きだ。カッコイイことをやってる俺はカッコイイでしょ?というどこまでもまっすぐな価値観に貫かれた無邪気なアピールに苛立ちをおぼえることもあるが、どこか間抜けでほほ笑ましいとも思う。
自分はこういった「カッコイイ」ことをして良いんだろうか…?このウーハーの響きの「カッコよさ」って一周回ってカッコ悪かったりしないだろうか…?など湿っぽいことを考えてはいけない。こういうのは自意識過剰で面倒な人間が、自意識の奴隷が考えることだ。自分の現状を見なかったことにする精神のタフさをもたない、弱い人間だけが抱く不必要な疑問だ。つまり僕が悩んでいればいい話なのだ。
ちなみに自意識という言葉が何度か出たが、ここでは「幽体離脱して10メートルくらい宙に浮いた感覚で、現実の自分を冷静に評価する客観的(と本人だけは思い込んでいる)な視点を持つこと」くらいの意味で使っている。





































辻仁成である。この写真を見てあなたは何を思うか。自意識過剰?違う違う、これは自意識「過少」だ。デジカメ片手に鏡の前でポーズをキメる男は、「妻である中山美穂を今このご時世に主演に据えて、自身の小説作品を映画化する」という離れ業を成し遂げようとしている。サヨナライツカ…超ド級のウーハーがここでは鳴り響いている。ちょっとでも自分を俯瞰してみる視線があるのなら、この写真をwebにアップして全世界に公開…できないでしょう…。
似たような案件として「街中でイチャつくカップル」がある。彼/彼女らが公衆の面前で堂々と腰に手を回しうるんだ瞳で見つめ合う時、あるいは接吻を交わす時、ひょっとすると彼/彼女は「今の私たちちょっとイケてる」と感じているのでは、2人で1つのウーハー気取りなのではないか*2。こういったお茶目なカップルはほぼ9割9分が不細工、は言い過ぎでもかなりオリジナリティの高いルックスをたたえている。公共の福祉に反するので美男美女以外は天下の往来でイチャついてはいけないし、イチャつくわけがないという私たちの共通了解が色眼鏡となって、ますます彼/彼女らを不細工に見せているのかもしれない。

















人前で恋の話をするのも「ウーハー」ではないか。美意識や価値観を含めた、自分の内面がこれほど色濃く出る話題もそうない。それを人前であけすけに語ろうというんだから、これは立派な重低音スピーカーだろう。なればこそ、仮に自分の色恋の話をするにしたって「私なんぞがおこがましいのですが…」という「おずおずと」の精神が、心ばかりのボリューム調整が必要だと僕は思う。のだが、まあ皆さん自分の恋愛観や色恋沙汰の思い出を雄弁に話すこと話すこと。
おそらく「私がこんな話をして、本当にみっともなくないのだろうか?」「自分レベルの人間が人並みに色恋を語るなんてヒンシュクものでは?」といった自己批判なんて微塵もない、そもそもそういった薄暗い自意識を抱いたことなんてないのだろう。街中でイチャつくカップルといっしょで、ある程度その恋愛感なりそれを育んだ個人の人間的内面が「グッド・ルッキング」でなければ、恋愛自分語りなんて公序良俗に反するものでしかないというのに!みんな勘違いしてないか、内面の美しさは見えやしなくて汚いに決まっていて*3誰にアピールできるものでもないから、人前で恋の話をする権利なんて誰にもないのよ?夕飯一緒に食べた後でハーゲンダッツ寄って終電までお喋りしてる場合じゃないでしょう!
いや分かる。僕が自意識過剰すぎるんだというのは分かってる。こちとらかれこれ15年以上も、自意識こじらせ続けてるんだからさあ!治療のためにも師と仰ぐこところから始めなくてはいけない、辻仁成を。

私の名前はZINC
ZAMZA N’BANSHEEのボーカリスト
そして、自分という宇宙を旅する求道者。
このブログは終わりのない精神の旅の記録です。

次のライブパフォーマンスへ向けて、日々自分を鍛え、求道する
私が
さまようこの夢の終わりを
記しています。

矛盾だらけの世界に存在しながら、嘘のない一瞬を求めて。*4


というわけで結論。このブログも実にウーハーであり辻仁成!ではでは。

*1:冬服にはなっていたので車を置いたまま一旦おうちに帰り、季節に合わせたお洋服を選んできた可能性はあります。

*2:彼らのメンタリティばかりはまるで想像もつかない世界にあるので、完全な妄想ですが。

*3:人間はそういうものという前提で喋っております。汚いから「ダメ」ってのは違って汚いからきれいなんだけど。

*4:辻仁成のバンドZINCのblogより。http://www.j-tsuji-h.com/html/from_zinc/backno.htm