シナトラ

新年度からの勤務先はなかなの巨大病院でありまして様々な科がひしめき「コンサルト」が頻繁に行われます。自科の知識だけでは解決できない病態について他科の先生方に専門的なご意見をうかがうことでより良い治療を目指すわけです。コンサルトを行う上でのしちめんどくさいルール*1も多々あり辟易することもしばしばですが、深い専門知識をもったプロフェッショナルにご意見をうかがうのだから最低限の節度とマナーは必要であると自らを戒め、一方で自分がコンサルトを受ける際にはルール・規則に(周囲へは迷惑をかけない範囲で)可能なかぎり囚われずに迅速かつ愛想よく応じて差し上げたい、大事なのは体面ではなく患者さんの治療。そう考えて毎日はたらいています。


患者さんへの関わりを継続するなかで、あるいは同じ科から何度か依頼をいただくなかで段々と他科の先生方と「顔なじみ」になっていけることもコンサルテーションの一つの魅力です。病院の規模あるいは医療従事者のポピュレーションに比例して互いの顔が見えにくくなるのは避けがたく、知れぬ情緒や読めぬ気心がよけいな距離感を生み、それがまた上記の「しちめんどくさいルール」につながっていく…この負の連鎖を断ち切るのは地道な人間関係づくりであり廊下や病棟ですれ違いざまに交わされる「お疲れさまです」の草の根である。そう考えて毎日はたらいています。


そんなワタシを悩ませる案件として「フランク過ぎる先生」があります。ここからは多少話を盛りますが、ほぼ現実です。今月になって現れた稀代のニューカマー(以下フランクのFをとってF先生と呼びます)も当初は、礼儀正しい好青年でした。電子カルテ上にはあらかじめ「平素より大変お世話になっております。◯◯で入院中の患者様を紹介させていただきます。カクカクシカジカ。以上、ご多忙とは存じますがご高配をいただきますよう、何卒お願い申し上げます。F 拝」と礼節に満ちた文面を用意、その上で「△△科のFと申します。先生、ただいまお時間よろしいでしょうか?カクカクシカジカ。はい、それでは失礼します。本当にありがとうございました」と直接のPHSコールもあり。カンペキです。礼儀王です。礼・チャールズです(愛さずにはいられない…)。


今思えば2度目の電話に気配がありました。F先生からの礼儀正しい電話連絡の最後が「どうもで〜す」だった。間違いなくどうもで〜すだった。自分に対する言葉づかいなどどうでも良いのですが初回コンサルト時の丁寧な口調とのギャップにひっかかりを覚えたのも事実。そして事態は風雲急、次の日に廊下ですれ違って見るとどうでしょう、ほがらかに右手を挙げいかりや長介の構えを見せたF先生の開口一番が「ちゃ〜す」だった。間違いなくちゃ〜すだった。「僕は礼・チャールズですよ〜」の省略形でちゃ〜すと述べている可能性もなくはないものの、表情や身振りから推察するにワタシに対して「こんにちは」のざっくばらんバージョンとしてのちゃ〜すが発されている公算が高い。ん?職場で一度会っただけのワタシのような他科医者ですら「顔なじみ」認定していただけてるみたいですケド…(上地雄輔風語尾)。それはすごく嬉しいですケド…(神児遊助風語尾)。でもさあ、やっぱ、っていうか…距離…近くね?


そして先の金曜日。平常業務にいそしんでいると院内PHS着信アリ。「はい、精神科shoshoshoshoです」「ちゃ〜す、Fっす〜。抜管*2したら戦国時代がどーたらとか言い出した患者さんがいるんでセンセイに今すぐ診てほしいんすけど、どうっすか〜?忙しいっすか〜?」うーむ、フランク…。実際に現場に行ってみると遷延した鎮静剤*3ででろんでろん状態の患者さん。その横では朗らかなスマイルと長介の右手。ちゃ〜す、どうもっす〜。
もう完全に距離ゼロ。最初はあんなにも、過剰なまでの礼儀に満ちていた、「心の距離は地平線の向こう、バオバブの木あたり」くらいのイメージを抱かせていたF先生が今や鼻息が触れるほどの眼前に。るろうに剣心で一気に間合いを詰めてくるものすごい俊足の剣士いたじゃないですか、沖田総司みたいな*4。あんな感じで「えぇぇ?!息一つ切らさずにバオバブの木からここまで?!薫殿!」と驚きながら一瞬の錯覚。俺、F先生の彼女だったけな…。俺、昨日F先生と寝たっけな…。


彼女じゃねえ!寝てねえ!そもそも俺、薫殿じゃねえ!
F先生と食事に行ったわけでも夜景ドライブしたわけでもそのままお泊りネンネしてしまったわけでもなくいのに気がつけば「俺のオンナ」あつかいされている*5、そんな状況は難しすぎて飲み込めません。因数分解できません。そもそもワタシは既に入籍しており妻のある身、なぜ職場でリスクに満ちた倫ならぬ恋に身を染めなければいけないのでしょうか。チェッカーズばりに「彼氏」を気取られただけでも腑に落ちない上に「彼女であればフランクに接して良い」「抱いたら俺のオンナ」的な人間関係の捉え方自体もどうかと思われ、F先生は「他科医者を彼女あつかい」の時点でおかしな選択肢を踏んでおりなおかつ「抱いたらフランク可」と2段階でおかしなことになっていると感じるのです。しかも肝心の患者さんは寝こけてて精神科の診察どころじゃねえしな!
ワタシはにこやかに「ご紹介ありがとうございました。目が覚めたらまた呼んでくださいね」と部屋を出ました。背中にあびるのは朗らかなご挨拶。そしておそらく長介の右手。ちゃ〜す!


以上、新しい勤務地での近況報告でした。

*1:緊急でない場合は前日までに紹介の文面を用意した上でホニャララ、当日緊急の場合はまずAに連絡した上でBに報告をし、その上でAに折り返すなど。

*2:例えば肺炎で患者さんの呼吸状態が思わしくない場合に人工呼吸器へつないで呼吸を補助するなどの目的で気管挿管を行います。治療が進んで呼吸器の必要がなくなり、挿管されていたチューブを抜くことを抜管と言います。

*3:気管挿管状態は様々な観点からとても苦しく通常耐えられるものではないので、十分な麻酔鎮静剤が用いられるのが一般的です。抜管前にはそういった薬を徐々に減らして意識をなるべくクリアにします。

*4:ググったら志々雄一派の十本刀最強、瀬田宗次郎でした。

*5:されていません。