リバーシブル

星の王子さまに出てくる「帽子かと思ったら象を飲み込んだウワバミでした」の図。みなさんもどこかで目にしたことがあるだろう。一度目にしたら忘れない、遠くからは帽子にしか見えないあの絵。


図1:帽子にみえるけどよく見たらウワバミでした!


図2:ウワバミの中には象が飲み込まれていました!

ここで、友人や恋人に、あるいは自分の息子/娘*1に図1を見せられ「ねえねえ、これ何に見える?」と聞かれた時のことを考えてみる。僕らは知っている。よく見れば帽子ではなくウワバミだということを。僕らは知っている。そのお腹の中にはなんと象が潜んでいるということも。そして僕らは知っている。象を飲み込んだウワバミでしょ?と答えることが必ずしも、いや、多くの場合に「正解」ではないということを。
その問いはおそらく「あなたと驚きを共有したい」という親密な「毛づくろい」の構えなのであり、毛づくろいには毛づくろいをもって応じてあげたい。だったら正体を知りつつ「帽子かなあ?」と答えるのがいいんじゃないかなあ。そんな風に思う。所有する知識を常にすべて開示する姿勢 (習った漢字はぜんぶ漢字で書かなくてはいけないと思っている小学生のような) だけが「正解」ではない。「敢えての知らんぷり」をきめこむ、そういったタイプの粋でありやさしさ。そこには「くるみ」を胡桃と、「あなた」を貴方/貴女と記すことでそこなわれるこまやかでこぼれ落ちやすい、だからこそとても大切な情感がひそんでいるのではないかしら。


ここでCMです。aiko恋のスーパーボール

aikoの楽曲を聞いていつも思うのは「aikoって〈あたし〉のことしか歌わないよなあ」ということ。もう4年以上も前の話になるけれど2006年に「彼女」というアルバムが発売されるタイミングで、僕はaikoの歌についてこんな風に書いていた。今でも大筋での評価は変わっていないので再掲する。

あたし、あたし、あたし、あたし。あたしの気持ち、あたしの前髪、あたしのため息。彼のことが好きなあたし、彼をこんな風なやり方で見ているあたし、彼のしぐさにいちいち一喜一憂するあたし。
もちろん好きな「あの人」のことを歌っている場面もあるけれど、それは翻って「彼からあたしはどう見られているだろう/思われているだろう」「あたしは彼からこう見られたい/思われたい」の鏡うつしでしかなく、そこで実質扱われる主題はやはり私の内面、すなわち「あたし」であるように思える。あたしの気持ち、あの人の背中、あたしのため息。

(中略)

彼女が真に歌うのは、「あの人」ではなく「あたし」のことだ。「あたし(主体)」から発せられた気持ちは「あの人」を経由して回帰し「あたし(客体)」に投射される。「あの人」とは、一人称の「あたし」が三人称の「あたし」を思うために必要な「鏡」に過ぎない。

だからこそ。
だからこそ新譜のタイトルは「彼」(=「あの人」)ではなく「彼女」(=「あたし」)だった。

(中略)

むしろ本当に彼女が(彼女の歌に共感を覚える人たちが)愛して止まないのは、「あの人」のことを考えてはあれこれ悩み揺さぶられ焦がれる「あたし」なのだろう。なぜって、彼女(彼女たち)は相手が何を言おうが何をしようが、結局は自分のこと、「あたし」のことばかりを四六時中考えているのだもの。

年月を経て全くブレのない彼女の世界観は、僕からすると*2結構な畏怖の対象であったりもする。他者性の不在を通奏低音にデビュー以来延々と展開する、〈恋ごころ〉を主題とした永遠のボレロ。〈あなた〉という固有の存在があることの意味・実存在性が漂白・捨象された地平で、〈あたし〉の感情をゆり動かすメディアであり手段、すなわち打ち消し記号付きの〈あなた〉として男性は描写される。〈あなた〉は最初から既に〈あたし〉に飲み込まれているのだ。


〈あなた〉を思うこの気持ちという、〈恋ごころ〉のフォーマットをとりながら、その実〈あなた〉という透明な二人称を通じて実現されるセルフ毛づくろいがaiko/ファンたちのスカートの奥では日夜繰り広げられている。彼女の曲を聞いているとついそんなことを考えてしまう。最新作から年次をさかのぼりつつ、シングル曲から実際の歌詞を確認してみよう*3

あなたの指先が初めて耳をかすめた/あたしの体の真ん中 自分じゃないみたい/少しこもった熱が更にあたしの気持ち/ぐるぐるひっかき回してはかき乱す/瞼も爪も髪も舌も離れなくて困った/幸せはすぐ隣だ
aiko恋のスーパーボール』2011年

二人周り流れるストーリー あなたがここに居てくれるなら/後悔せずに前を向いたまま 立ち止まる事も怖くないのです/二人何処かで廻るストーリー 静かに終わりが来たとしても/最後にあなたが浮かんだら それが幸せに思える日なのです
aiko 『シアワセ』2007年

過去にも2人は同じ様に 出逢ったならば恋をしたね/この気持ち言い切れる程あたしは/あなたの事を今日も夢見る
aiko 『蝶々結び』2003年

少し背の高いあなたの耳に寄せたおでこ/甘い匂いに誘われたあたしはかぶとむし/流れ星ながれる 苦しうれし胸の痛み/生涯忘れることはないでしょう/生涯忘れることはないでしょう
aiko 『カブトムシ』1999年

意図的に歌詞を選択したところもあるが、やはりどこからどう見てもaikoの楽曲は「あなたのことが好きなの」とつづられた〈恋ごころ〉の歌だ。メロディが伴えばなおのこと、「あなた」へ向けられた〈恋ごころ〉はリスナーの胸ぐらを掴んで離さず、絶え間ない甘ずっぱさの中で聞く者を恋のベクトルへと感化していく。たとえば異性の僕をして「恋が、恋がしてえよぉぉ!!」と叫び出させる程に*4
ただやはり。この〈恋ごころ〉の世界からは (「僕にはそう思える」以上の説得力がないことは十分承知の上で) 思いを寄せられている「あなた」が一体どういう人物なのか、それが不思議なほどに浮かび上がってこない。歌詞の中に語られる「あなた」は指先や耳というパーツであり思い出され夢見られるイメージであり、それはやはり〈あなた〉でなく〈あなた〉なのだと思う。恐るべき恋愛引力は〈あなた〉という個別・具体的な関係性の中にではなく、あくまで〈あたし〉に取り込まれ装置化された〈あなた〉を風景に立ち現れている*5

星の王子さまサン・テグジュペリ。あなたを思う〈恋ごころ〉かに見えたaikoの楽曲は〈あなた〉を飲み込む〈あたし〉の歌だった。飲み込まれた〈あなた〉は透明な二人称〈あなた〉へと転化され、かくして〈あたし〉に奉仕する装置となり甘やかに機能する。星の王子さまサン・テグジュペリ。図1〈帽子〉の正体は図2、つまり〈象〉を飲み込んだ〈ウワバミ〉だった。飲み込まれるのは〈象A〉でも〈象B〉でも構わない。象とは〈ウワバミ〉=〈あたし〉に取り込まれ〈帽子〉=〈恋ごころ〉のフォルムを作るための装置なのであり、その意味でまさしく。〈あなた〉と相似形の〈象〉である。

aikoの例は極端なそれとして、〈あなた〉を思う感情が〈あなた〉を生み出すというジレンマ。これはおそらく愛情にまつわる問題として誰のもとにも訪れうる*6、いや、どんな場合にも「常に必ずつきまとう」類のものに違いない。無償の愛を実践できるのは神様だけだ。
「私はあなたが好きだ」というありふれた、しかし一つとして同じ形のない、だからこそかけがえの無い感情を相手に伝えるとき。〈私〉は〈あなた〉を〈あなた〉にしていないだろうかと振り返るステップはきわめて肝要だ。〈あなた〉として他者を目的化せずに〈あなた〉として扱うべきだ、と言っているのではない。神様以外にそんな芸当はできやしない。不可避的に〈あなた〉を生みだしてしまうんだったら、せめてそこに反省を携えましょうよ、その方がやさしいじゃん、そういう気持ちで踊り続けたいじゃん。そう思う。

一方で「私はあなたが好きだ」と告げられたとき。それは自身が〈あなた〉として承認される歓喜のひとときであり、同時に自分が〈あなた〉でなく〈あなた〉として捨象され殺される瞬間でもある。でも僕はそれでいいんだ。彼女の〈象〉になれるのであればそれで十分に嬉しいと思う。彼女は〈ウワバミ〉だから僕を〈象〉にするし、でも僕は彼女のことが同様に好きなので〈象〉=〈ウワバミ〉となって不本意ながらも彼女を〈象〉にしてしまう。
「あなたは〈ウワバミ〉になって僕を〈象〉にしているよ」と種明かしをするのは野暮だし、一方僕が彼女を〈象〉にしていることなんて百も承知の上で、「それでも良いよ」と彼女は答える。

所有する知識を常にすべて開示する姿勢だけが「正解」ではない。「敢えての知らんぷり」をきめこむ、そういったタイプの粋でありやさしさがある。言葉にすることで消えてしまう、こまやかでこぼれ落ちやすい、だからこそとても大切な。互いの正体を知りつつ、だからこそ2人で1つの〈帽子〉として、〈象〉と〈ウワバミ〉が互換可能なリバーシブルの〈帽子〉として笑い合えれば。
ねえ、これ何に見える?うーんと…〈帽子〉じゃないかな。ゲラゲラ。実はこれね、裏返しても…〈帽子〉なの。僕らは互いに互いの〈ウワバミ〉と〈象〉。ゲラゲラゲラ。

*1:子供いませんが、まあ想像するくらいは許して下さい。

*2:「男からすると」と書きたいが、その拡張はさすがに不可能だろう。

*3:アルバム全部もってるし、シングルに絞ることはないんだけど、なるべくたくさんの人が知っている歌詞が良いかと思って。

*4:実際には叫んでいないので安心してください。

*5:だからこそaikoの歌は万人のあらゆる〈恋ごころ〉への汎用性に満ちていて、彼女の楽曲は圧倒的なポピュラリティを得ているという風にも考えられると思う。

*6:もちろん、女性が男性を好きになる場合に限らず、男性が女性を好きになる時にも。