あの日をリメイク

大学6年生のとき、今からぴったり7年前の今日に書いたブログを、少し修正して再アップしてみます。今思うとバカらしい部分もたくさんあるけれど、趣旨も作りもあえて変えていません。

【2006年5月28日】

今週末は「五月祭」という、うちの大学の学祭だった。大学受験の塾講師というバイトをやっていたこともあって、元生徒(今では後輩)たちから「屋台をやってるから是非チケット買ってね」といったタカリ連絡を結構な数いただいた。今日はその「業務」をまとめてこなしながら、懐かしい顔たちに会えて楽しかった。たくさん買ってあげられなくてごめんよみんな。

ひとりひとりの個性を捨象することがとても下品であるとは自戒しつつ、後輩の彼ら/彼女らは「大学1年生(2年生)らしい」表情をしていた。それはやはり、「あの時」にしか出来ないあの顔だった。僕は無性に小沢健二の「流星ビバップ」が聞きたくなって、帰り道からずっとそればかり聞いている。音楽の魔法に頼れないのは残念だけれど、歌詞だけでも抜粋してみる。

教会通りにきれいな月 火花を散らす匂いとまぼろし
も少し僕が優しいことを言や傷つくこともなかった?
そんな風に心はシャッフル 張りつめてくるメロディーのハード・ビバップ
ただ一様の形を順々に映す鮮やかな色のプリズム

薫る風を切って公園を通る 汗をかき春の土を踏む
僕たちがいた場所は 遠い遠い光の彼方に
そうしていつか全てはやさしさの中に消えて行くんだね

誰もが通ったはずの、十代の「あの時」。僕たちがいた、そして今は遠い遠い光の彼方にある「あの時」。そこに対するコンプレクスと憧れが僕にはずっとある。あの時の僕は、求め焦がれながら結局は「あの時」にいられなかったからだ。何よりも甘く切ない夢物語。

悩みを何でも話し合える友人関係を人並みに築いたり恋をしたり、(そして願わくば)恋されたり。そんなことできるわけないし資格もないし、万が一そんな「ウルトラC」ができたとして僕なんかがそんな立派なことをするなんて、世間様に対して申し訳が立たない…。
中高生の頃の僕は四六時中そんな風に考えていた。大分マシになったとは言え今でも生活の根底にはっきりと、その手の「申し訳なさ」が横たわっている。周りの人たちが屈託無く「親友って何だろう」とか「○○君が好き」とか。きちんとした人たちが抱えるそういった豊かでまばゆい悩みを端から眺めては、「なんて素直な悩みなんだ…羨ましい!」と憧れてばかりなのだ僕は。例えば中高生のあの時、合唱コンクールにのめりこめた、体育祭の練習にきちんと参加しない人たちに怒り狂えた、そんなクラスメイトたち。アツい人たち。彼ら/彼女らは畏怖と同時に、はるけき憧憬の対象だった。

アツい彼ら/彼女らとは始めの一歩から、生き物としての種族そのものが違う気がして、つまり自分はとても劣った人間のようで僕はいつだっておどおどしていた。その「おどおど」の裏返しなのか反動なのか、今思えば独善的な考え方にすがりひたすら自己の内面と一人相撲のを繰り返していた。いつもどこかに「醒めた自分」がいて、それが僕の熱中を拒んだ。周囲の人たちとアツく、芯から心を通わせ夢中で駆け抜けることはゆるやかに、それと気付かせずに、しかし厳として禁じられていた。
僕はどんなときも、将来ふり返って「あの時」として想起されるであろう、ポテンシャルとしては輝ける毎日を、指をくわえ嫉妬に溺れながら遠巻きに眺めていた。

本当に怖い。気がつけばそんな眺める立場のぬるま湯につかりきった僕は、「自分から世界に対する視線」以外を失っていた。
現実は違う。「世界から僕に対する視線」が逃げ出したくなるくらい山盛り一杯に存在していて、そこで踏ん張りぐっとこらえて、自身の肉体や人格を他者と結んでいかなくてはいけない。そういった労苦の果てにようやく辿りつけるはずなのだ、かがやける「あの時」は。僕には青春をかがやかせる才能なんてまるでないから、逃げずにこつこつと努力を重ねるしかない。そのことがわかっていなかった。(まあ、今でもわかった「気になってる」だけなんだろう)

「趣味は人間観察」という人がものすごく嫌いだ。一方的な観察者の立場は、すぐ上に書いたような「視線ってのは双方向なんだよ」という認知を欠いているから。あるいは、自身からの一方的な視線のみで世界うあ人間を語る暴力を、自分も同じ穴だからこそ、同族嫌悪しているのかもしれない。もっと言えば「自分では実現できてないけど視線は双方向ってことに気づいている分だけ俺の方がマシだぜ」といった具合に、かりそめの優越感で質の悪い自我を守っているだけかもしれない。

南風を待ってる 旅立つ日をずっと待ってる
“オッケーよ”なんて強がりばかりをみんな言いながら
本当は分かってる 二度と戻らない美しい日にいると
そして静かに心は離れてゆくと

先と同じく小沢健二より、「さよならなんて云えないよ(美しさ)」の歌詞。ここでもまた戻らない「あの時」が歌われている。僕がいられなかった、でもみんなが通過したであろうまぶしくかがやく「あの時」…。
そんな「あの時」に自分がいられなかったコンプレクスを、自分探しさんをディスることで「俺の方が考えが深い」という優越感に変換していた僕は結局、「あの時」に身を投じることを恐れていただけなんだと思う。「二度と戻らない美しい日々」に叫びだしたいくらい恋焦がれているくせに。マジでお前はアホか!かけようと思うものにしか、ポケットの中で魔法はかからないのだ。

でもね、そんなくだらない毎日を否定したいわけでもなくて。これは単なる自分史だけど、たとえば伊集院光のラジオが、松本人志のコントが、松尾スズキのエッセイが教えてくれた。お前みたいな「逃げ腰」でもいいんだよってことを、みじめさを笑い飛ばす、魔法じゃなくても手品を。そんなこんなで育ってきてしまった僕を、なんだかんだで、今の僕はそんなに嫌いじゃない。

あと、これまたくだらない自分史かつかつ鬱陶しい話だけれど、僕は勉強がそこそこできることに救われた。大したレベルじゃないとはいえぼちぼち勉強ができることで、何だか居場所がある気がしていた。お勉強以外に人並みにできることの何にもない僕は、無意識のうちにそこを最後の拠り所にしていたような気がする(そんな思いも今やすっかり打ち砕かれましたが!)。
高校3年生までは何の努力もしていなかったけれど、それまでもやはり「いざとなればそこに逃げ込める」という安心感が僕を支えてくれていた。そんな薄っぺらい安全基地にすがり続けるために2回も浪人してまで、自分の能力と努力には不相応な大学を受け続けていたのかもしれない。僕は必死だったんだな。

再び「流星ビバップ」。

薫る風を切って公園を通る 汗をかき春の土を踏む
僕たちがいた場所は 遠い遠い光の彼方に
そうしていつか全てはやさしさの中に消えて行くんだね

薫る風、にじむ汗、春の息吹、土のにおい。
大学6年生の僕が、大学1年生の、しかも塾講師時代の元生徒たちに会う。そこにははつらつとした笑顔があり、おそらくその裏ではみずみずしい苦悩がある。僕がいたかもしれなかった(現実には傍観していただけだった)場所への、憧れ混じりのほろ苦い夢想が生まれる。二度と戻らない美しい日々のにおい。薫る風、春の息吹。僕のリアルからもっとも遠くて、だからこそ何よりもリアリティのある、美しい可能性。だから、ありがとう、本当にありがとう。

人生のさまざまな先輩たちがが、気前よくご飯を奢ってくれるのも、自身の価値観をまっすぐ照れずに話してくれるのも、実は同じ構造なのかもしれない。つまり、25才の僕の中に「あの時」を見出してくれているのかもしれない。もしそんな形で僕を消費してくれているのだとしたら、それは身に余る光栄だ。戻れない過去、あったかもしれない、二度と戻らない美しい日への投影性同一視。上から下へと時は編まれ、返し縫いのような「入れ子」の構造の中で僕は(僕らは?)歳月を重ねていく。

僕たちがいた場所は 遠い遠い光の彼方に。本当はわかってる 二度と戻らない美しい日にいると。そういうことだ。意味は分かんないけど、そういうことなんじゃないかなー。