お引っ越し

両親が引越しをする。子どもたち3人が独立することもあって、父がかねてから望んでいた静かな海辺の街に居をうつすという。ものごころ、と言っていいのかな?その手のサムシングが芽生えてからこの方、いつもそこに「実家」としてあったあのおうちがどうやら空っぽになる、なってしまう。ええと…寂しいじゃないですか。

神奈川県厚木市。小学校1年生から大学2年生まで僕はそこで過ごした。2年間の浪人もあったので都合15年以上の生活のすべてがその家とあった。屋内をみかん爆弾片手に走り回って死ぬほど怒られたのも、文化祭前に同級生と垂れ幕やら何やらを作ったのも、机に向かってひたすら大学受験の勉強をしていた(バカだったのでがんばって勉強するしかなかった…)のもぜんぶこの家だ。
幸いたくさんの友達に囲まれ弟2人もにぎやかな人たちでいつもこの家はいつもごった煮、どうやら両親もそれを望んでいるようだった。仕事から17時きっかりに帰ってきてしまう母親(今思えばなにより感謝!)はそのくせに、夜が来てなお遊び続けようとする僕らをしかり散らしていた。
ひとり暮らしをさせてもらって少しだけ距離が離れ、でもそこはやはり僕の「故郷」だったしいつ帰ってもほら、気前よく迎えてくれる地域があり友達たちがいた。そして当たり前だけど家族がいて実家があった。だからほら…お引っ越しなんて、寂しいじゃないですか。

ちっちゃなころは悪いことをすると家からつまみ出され鍵を閉められたし、時には押し入れに閉じ込められた。長じて少し知恵がついてみれば都心からの遠さに辟易して、いわゆる「文化」にはさっぱり恵まれていないと感じていた。厚木いちばんの市街地を覆っていたヤンキー趣味は、思春期の僕にはただの「退屈」であり「虚無」でしかなかった。それでもしかし、そこは僕の実家だった。

そんな実家が引っ越しをするという。…寂しいじゃないですか。

お別れに言った実家。僕が生まれる前からあった掛け時計や箪笥、お気に入りの本棚、居間の匂い、壁にスタンプされた思い出の染み。発掘されるわされるわ、はずかしい青春の思い出グッズ。
母はいつも通りの食事を作ってくれて、年を取り一人前のアル中になった僕はお酒を片手に泣きながら食べた。男児3人、毎日6合のご飯を2回炊きながら仕事も抱えてしかも会社から表彰されながら、食事から何から何でもまかなってくれていた母は真似しようにも真似できないすごい人だ。ヒステリーは国宝級だし理屈はまったく通じないけれど、それはまあ「母」としてのご愛嬌なんだと感謝を込めて今は思う。
日曜日もフルに仕事をして帰宅した父はいつものペースでサントリー角を炭酸水で割り、仕事の来し方や心がまえ、そして趣味の政治に経済そして数学。そんなアレコレをいつもの通り自分のペースで語っていた。彼は絶望的におもしろのセンスがないのでどうしようもないし、僕の喋り方は残酷なくらいそれにそっくりだ。そうだこの口調で父は、自作の物語で子供たちを寝かしつけ就学してからの僕らには日々勉強を教えていたのだ(高3までの英語と数学を教わった)。
すごいじゃないか、僕の両親。

ブログを始めた頃には想像もつかなかったことだけれど、僕は何やら徳の高い、内面/外面共に「せんとくん」に似た女性と結婚することができ、さらに幸いが重なり子どもにも恵まれた(やったー!)。僕は、僕ら夫婦は、うちの子どもが「育つ」のをお手伝いできる環境をほんの少しだけでも提供してあげられるだろうか。
休みの日にはうちの両親がしてくれたのと同じように海も山も川も、音楽もスポーツも都会もド田舎も、とにかくあらゆる「人間の活動」に連れ回して色んなジョイフルを共有したい。勉強は喜びで、音楽って世の中でいちばんくらいに楽しくて、全力で体を動かすってどうやら素敵な営みで(ここは僕は分かりきれていない!)、とまれ人は人と交わるとハッピーなのであって…そういう僕の感覚は、両親が授けてきてくれた経験が、遺伝子以外のかたちですてきに遺伝してできている。

何かが動くのだ。年代かもしれないし世代かもしれない。環境の連鎖か遺伝子のアレコレか、そういう力動の予感がある。言ってしまえば「血」というウェットな要因が、よくも悪くも(ハッピーな境遇を生きてきた僕にはとても良いものだと感じられますが)脈打っている。
僕は息子だったけれど幸運にめぐまれ父となり、でもいつまでも息子だし、そして同時に駆けだしの父だ。両親のようにはまだなれない。けれどどこかで息子と共に生きて、彼は育ち、僕は僕らはそれを見守る。

こうやって気がつけば、実家の話がうちの両親の話が、うちんちの息子の行く末に流れていく。これが今の僕のナチュラルな思考で、それはただの連想ゲーム、思いは季節のようにうつろいめぐり回る。
25年そこにあった実家が引っ越しをするという。寂しいじゃないですか。近所の友だちたちとも会いづらくなるかもしれない。寂しいじゃないですか。そして息子の未来。少しでもいいものにしてあげたいじゃないですか。僕があの頃そういう幸運のお星さまにめぐまれたように。

そういうのが全部混ざってるね。引っ越しのことを話したいのか、幼少期の思い出か、結婚か、子どものことか、アレもコレもぐちゃぐちゃだよ俺の脳みそは。あたりまえだけどものごとはリニアじゃないもの。だからこそ!ブログがあってよかった。10年くらい前の俺、ブログはじめたの大正解だよ。

実家のお引越しの話でした。