love love love you I love you!

あと全然どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど、
舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる」っていう小説のタイトルが大好きです。

今この時代に、気持ちを正直に伝えることを避けるような時代に、敢えて「好き」っていう言葉を連発するのってカッコイイじゃん。「好き」ってのはなかなかにすてきな言葉じゃん。

ってのとは全然違うんです。
このタイトルあまりにすてきで好き好き大好き超愛してるから、もっかい打ちます。
好き好き大好き超愛してる

上に出てきた「好きなものをはっきり好きって言うことってカッコイイじゃん」って考え方が、僕はどうも苦手なんですな。
織田-WAM!-裕二が今やってる月9、もう全然ダメです。
照れくさくって言えないことを、今こそ声を大にして言おう!
好きな人にはっきり好きっていうのは恥ずかしくも何ともないことなんだヨ。
みたいなー。(とんねるず口調でお願いします)

僕は死にましぇーん!
かーんち、セックスしよ!

みたいなー。(ここもとんねるず口調で!)
それって「好き」っていう記号の使い方をゲーム感覚で磨いていってるだけじゃん。
記号の組み合わせでオシャレさを競ってるだけじゃん。
大体さあ、本気で好きって言って恥ずかしくないわけないじゃん。
恥ずかしくないことにできるのは、魔法の免罪符が、つまり「これは一種のゲームですから」っていう言い訳が用意されてるからなんじゃないだろか。

「好き好き〜」ってタイトルからはそれと違って「しかない」感じがびんびん伝わってくる。
「好き」っていうことがカッコイイじゃんトレンディじゃんという発想なんかじゃなくて。
いや、恥ずかしい。言葉で伝えるっきゃないにしては芸もない。でも!
今のこの思いを真剣に伝えようとしたら、もうどうしようもなく好きって言う「しかない」んだ。
これ以上の強度で好きを伝えることができないから、僕は好きって繰り返す「しかない」んだ。
言葉では伝えられないというあきらめがあって、きっと伝わるはずだという希望があって、伝わらないのかも知れない。それでも伝われ!という祈りがある。
タフな意思と、本気で本気の好きとが混ざり合った、
ドブネズミみたいに美しいタイトルだと思います。