Strawberry Fields Forever

サニーデイ・サービス丸山晴茂さんが今年の5月に逝去されていたと、所属事務所のスタジオ・ローズが本日発表した。多感な時期を支えてくれた、そして今でも大好きで仕方ないバンドに訪れた突然の訃報ということで、自分でもそんな自分におどろくほどに、気持ちが揺れている。

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上記リンクにある食道静脈瘤破裂・アルコールの問題という記載から、アルコール依存症とアルコール性肝障害(おそらくはその末期としての肝硬変)をわずらい、困難な闘病生活をおくられていたのだろう。ファンの通例にならい親しみの情を、そしてすばらしい音楽でぼくの人生に伴走してくれたことへありったけの感謝をこめて、やはり彼のことは「晴茂くん」と呼びたい。晴茂くん。すてきなドラムの演奏をありがとう。そしてお疲れさまでした。

ひとつの、あまりに悲しい別れに際して5年ぶりのブログ更新をしようというのだから、ぼくもご多分にもれず、サニーデイ・サービスというバンドに大層あてられたクチだ。ときは90年代の後半。内側からむくむくと湧きあがる「自分」という不思議とどう折り合いをつけたものか分からずもがいていた、かといってそんな「自分」は世のなかにとって何でもないというあの頃。そう、いわゆる思春期というやつです。彼らの楽曲がぼくにどれだけのものを与えてくれたのか、言いあらわすことなんてとてもできない。

30代もなかばをすぎて心身ともに順調なオッサン化を果たしているから分かるけれど、あの頃のぼくは「観念」でアタマがいっぱいだった。アタマでっかちになりすぎて「身体」や「現実」が見えていなかったともいえる。もうすっかり魔法はとけて、寝不足がめちゃくちゃ翌日にひびいたり、それでも子どもたちのためにご飯代をかせがなきゃいけなかったりする今なら骨身に染みて分かる。人間は観念だけじゃ生きていけなくて、身体をもって現実のなかで生活をしている。身体や現実という大きな制約からは逃れられないし、だからこその折り合いをつけてくのが人生にちがいない。

ところでサニーデイ・サービスって、とくに一度解散するまでの時期は、じつに観念的なバンドだったと思う。若者らしかったとも、青春時代を生きていたともいえるだろうか。ひとつには演奏。ミュージシャンにとっていちばんの身体であり現実でもある、演奏そのものへの意識は(とくに活動初期には)とても薄かったように感じている。もうひとつには作品自体。たとえば代表作とされることも多い『東京』(1996年)には、千鳥が淵の桜のアルバムジャケットと、表題曲「東京」という曲名のほかに、東京をあらわす表象があらわれない。90年代中期を感じさせるようなモチーフもほとんど見受けられない。東京という具体性あるいは同時代性からたくみに距離をとりながら、若人たちの心理や日常がごく三人称的に描かれている。アルバムから立ちあらわれる、身体や現実の感覚はきわめて淡い。

閑話休題、「自分」というやっかいな観念でアタマがいっぱいのぼくの思春期に、サニーデイの詞曲は、晴茂くんの叩くドラムはずっとやさしく寄りそってくれていた。やけっぱち天使も、恋におちたらも、忘れてしまおうも、恋人の部屋も、そして風は吹くも、シルバー・スターも、夢見るようなくちびるにも…挙げきれないよ。この追悼文を書きながら彼らの音源を聞いている。そしてやはり思う。サニーデイ・サービスとは、晴茂くんのドラムだった。

彼のドラミングはいつももたっていた。クリックを聞きながら叩いたとは思えないほどよたっているところが山ほどあった。オンタイムで演奏できているようでも何だかどんくさかった。彼のドラムを一般的な巧拙の意味で「上手い」と評する人はそういないだろう。でもそれこそが味わいの秘訣、サニーデイにとって欠かせない要素なんだとみんなが知っていた。やわらかな雰囲気と愛らしいなまりをたたえながら、気がつけば「これしかない」というビート感を出してくれている。きっとサニーデイ・サービスというバンドでだけでとびきりかがやく、すばらしい音楽家だった。

サニーデイは、ましてや曽我部さんのこと、やりたいアイデアが山のようにあり、しかし肉体というカベ、つまり演奏が達者ではないことにぶち当たってもがいてきたバンドという側面をもっていたと思う。いや、それだけなら多くのミュージシャンたちが同じ苦しみを体験してきているはずだ。ただ一点、サニーデイはやっぱり特別なところがあって、なにって晴茂くんのドラムはいつまでたっても、やっぱり上手くならなかったと思う。ある意味で素朴なつくりの『若者たち』から、狂気のレコーディング風景で語られる『24時』に至るまで、そして『MUGEN』の頃になっても。彼のビートは平常営業でもたり続けていた。『LOVE ALBUM』ではついに出番がほとんどなくなってしまった。そしてバンドは、ひとたびの解散を迎えた。

再結成後の彼らは、やはりお世辞にもスキルフルとはいえない晴茂くんの演奏を、ポジティブに受容しているように見えた。にじみでるサニーデイらしさを大切にしているように聞こえた。3人がせ〜ので鳴らす音があれば、そこにはサニーデイがあった。オッサンには肌身にしみて分かります、彼らは、観念のなかで音を鳴らそうとしてるんじゃなくて、自分たちの身体や現実をみずからの物語として受け容れたんだなって。サニーデイ・サービスさん、あなたもぼくと同じくあのとき思春期をおくっていて、そしてようやく通り過ぎたのでしょうか。

サニーデイは思春期を生きた。というより、彼らの活動は思春期そのものだった。上述の意味でとても「観念的」なアルバムを作ったり(すべてドのつく名作!)、晴茂くんの演奏に象徴されるような身体のままならなさに翻弄されたりした。少なくともぼくはそういう風に(も)彼らの音楽を聞いてきた。

なかにいるうちは意識できないのに、通りすぎたとたんに客体化され、ぜったいに取り戻せなくなるのは、思春期という季節がたたえるおどろくべき性質のひとつだ。年をとって青春のかがやきを失ったぼくには、憧れぶくみにとてもまばゆく見えたりもする。ついえた恒星から時差をもって地球に届くうつくしい光のようなもので、いくらたどって光源にたどりついても、そこに実際の星はもうない。ジョンレノンはストロベリーフィールズに戻れない。

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晴茂くんが参加した最後の作品群のひとつである「苺畑でつかまえて」は、凜としたたたずまいの、背筋がのびるような名曲だ。サニーデイ・サービスがやろうとしてきた「サニーデイ・サービス」という恒星の、ひとつの完成形といって良いと思う。彼らが青春という光の渦のなかでもがきながら発してきた「思春期のかがやき」がみごとに客体化されて、しずかに透明に、でもはっきりと鳴らされている。不器用にもたったドラム・パターンがやさしくループする。最後まであまり上達したようには聞こえなかった彼の演奏はそのまま、年をとったぼくたちが受けいれてきた、身体や現実のように聞こえてくる。だからこそひびく美しい歌詞とメロディ。なくなった星から届く光、ぼくたちのストロベリーフィールズ

くり返しになるけれれど。
晴茂くん、ありがとう、そしてお疲れさまでした。
ご冥福をこころからお祈りします。