愛し愛されて生きるのさ

起きる。9時。0時になった瞬間からお祝いをされているというとても幸せな始まり方をした誕生日です。ありがとう昨日の3人。昨日の余韻で学校に行く気が起きないので、家で洗濯機回したりネットしたりして午前中はぼんやりとすごす。テレビではワイドショーが安達祐実井戸田さんのできちゃった婚を盛んに喧伝している。そう言えば安達祐実は僕と同じ誕生日で丁度1つ年下、今日がまさに24才の誕生日。
ってことはそうか、僕は25才だ。



   10年前の僕らは胸を痛めて「いとしのエリー」なんて聴いてた。
   ふぞろいな心は まだいまでも僕らをやるせなく悩ませるのさ



小沢健二が歌うそんな歌詞を、胸を痛めることの意味なんか知らずに10年前の僕は聞いていて、あれからあっという間に10年。あの頃15才だった僕は25才っていうのはとんでもなく「大人」なんだと思ってたな。色々な判断を自分の責任で行えるし仕事を持って自立した毎日を生きているんだって思ってたな。
ところがどうだ25才になった自分は。働いているどころかまだ学生、しかも早速学校をサボタージュ。 社会的なパーソナルな、どんな形でも責任を背負うような立派さなんてどこ吹く風で毎日をだらだらと過ごしている。ふてくされてばかりの10代は過ぎたし、胸を痛める意味も少しは分かってしまったけど、結局の所はこの10年間、いや25年間、僕は分別もつかずにただ歳をとってしまったよ。


まあそれでも、年をとったなりに最近ちょっと見えてきたのは「大人」なんていないってことだな。僕はもちろん、どんな人も年相応その人相応の悩みや不安を抱えながら生きてるっぽい。各人が各人に固有の問題意識と格闘しながら毎日を過ごしていて、それを克服したり何とか折り合いをつけたり、そんなこんなで一生が続いていくんじゃないのか。「これが正解!」っていう到達点なんてどこにもなくて、でも自分の中での改善点が見えるから、何とかしようと一歩一歩とにかく動き続ける。どうすれば正しいか何て誰も知らなくて、でもなぜだか正しいだの悪いだの価値が高いだの低いだのが厳として存在するハードな世界で、ただ僕があなたがそして世界中のみんなが別々のやり方で動き回る。ゴールは見えない。あるのかもわからない。みんながみんななり。そんな、あまりに豊かな多様性を孕んだ、達成点の措定されないビルドゥングスロマンス。


通ったその軌跡がその人の年輪ってやつで、迷いなくまっすぐな足跡を残す人、ぐるぐる同じ所を回ったあとがある人、他より進むのが遅い分まわりの風景をたくさん観察出来た人。それぞれにすばらしい長所と愛すべき欠点があって世界に彩りを添えている。あなた方のまばゆいばかりの長所に僕は心から憧れるし、あなた方のどうしようもない短所を僕は心の底から愛おしく思う。
愛する。深く愛する。輝くあなた方という存在を、あなた方をあなた方たらしめている世界の一粒一粒を。僕を包むあらゆる人の、事物の、そして形而上の概念の、そのプラスもマイナスも全部ひっくるめて、世界を愛する。どうやらここは最低なことばっかりが起こるままならない場所だけど、いいことだってそれと同じ数だけある。プラスとマイナスの保存則ってやつだ。


10年前の僕が想像できなかったほどに自立も自律もしてなくて何の責任をとる能力なんてかけらもない10年後の僕だけど、おいおい10年前よ、僕は世界がどれだけ最低でいかにすばらしい所なのかを知ったよ。欺瞞や裏切り、貧困の構造、差別の欲望、そんな汚いものが大量に渦巻く所。隣の人の笑顔、木々の緑、街の夕焼け、明け方吠える犬、グラビアアイドル、あげたてのメンチカツ。そんな素敵なサムシングが僕を迎えてくれる所。
そうそうそれに、特定の1人に特別な意味を見出し思い焦がれる、言ってしまえば1人の人を「死ぬほど好きになる」やり方だって身につけた。好きで好きで驚くほど勝手にそういう気持ちがあふれ出して、あふれ出したら川になって海へ注ぎ波音へ。そのまま蒸発してやわらかな雲になって、そしてそのまま雨になれば雨音になってあなたの住む町をやさしく包めばいいなと思う。そういう今打ってて正直死ぬほど恥ずかしいなこりゃ、まあ明け方の勢いでアップしちまえ!みたいな気持ちに人はなれるんだ、そこの君、そうそう、テンイヤーズアゴーにいるそこの君のことだよ、こんにちは僕です。


今日僕の誕生日を祝ってくれた人、ありがとう。電話をくれた人、ありがとう。HappyBirthdayメールを送ってくれた人、寄せ書きをくれた人、全員に等しくありがとう。本当に嬉しかったです。愛情を感じたというと大げさだし迷惑かもしれないけど、僕のことをあなたが住むこの世界の一員として認めてくれているんだっていうことが、それだけで嬉しかったです。僕の世界の中には愛すべきあなた方がいて、あなた方一人一人の世界の中にやっぱり愛すべき僕がいたのであれば、いやさ、愛すべきじゃなくてもどんな形であっても僕がいたのであれば、それは一生分のめまいをまとめて起こしてもまだくらくらしたりないくらいの、身に余る幸せです。すくった手の平からこぼれ落ちた幸せはきっと雨音になってあなた方を優しく包みます。愛されるっていうのは愛するっていうことだし、愛するっていうのは愛されることだから、この営みは永遠に奇跡のループを描き続けます。



    いつだって可笑しいほど誰もが誰か 愛し愛されて生きるのさ
   それだけがただ僕らを悩める時にも 未来の世界へ連れてく


そういうことです。


誕生日なんて生まれ落ちたニュートン時間と地球の公転周期とから導き出される単なる「作り物」なんだとしても、そこに特別な意味を見出せることができて、そういうことができる生き物でよかったな。今日起こったあらゆることがすばらしい意味をもっている。

最後にもう一回。
お祝いのメッセージをくれた方、そして僕をとりまく全ての人々、本当にありがとう!