GAP

今月の4日に下北で酒飲んでた(そして酔いすぎて寝た)んだけど、まあその店で隣の席に座った下北臭プンプンの女の人が「女なんて誉めときゃいいのよー」みたいなことを言っていて、僕はそういう「男女関係しったかLOVE論」が大好物で何よりの酒の肴なので、一緒に飲んでたI井と楽しく話しながらもそっちに聞き耳立ててた。
で、その人の話の中で「『かも』は自然だから嬉しい」っていうのがすごい印象に残ってて、そのミス下北女曰く、「俺、お前の○○な所が好き」って言われると何だか用意されてた感じがするけど、「俺、お前の○○な所が好きかも」って言われると、「あ、今の言葉は思わず口に出ちゃったんだな」と思えるからすごく好感が持てるんだって。
それがどのくらい一般的な考え方なのかは分からないし、僕はあんまそう思わないんだけど、それでも感覚としてわからなくはない。すごい面白いなあ、いいこと言うなあこの下北女と思った。


で、「そういう所が好きだよ」って断言より「そういう所とか結構好きだよ」みたく『結構』とか付いてる方が何気なくて素な感じがしていい。今日話してた友人はこんなことを言っておりまして。これも上の下北女さんの言とかなり近いんじゃないのかと。
ってことはあれか、世の中「『好き』の気持ちは何気なく派」ってのが結構いるんじゃん!さりげなくしないと!


そして思うに、これってひょっとしたら一種の「ツンデレ」なんじゃないのかな。
「何気ない感じ」「自然な感じ」が嬉しいっていうのの前提に、日頃の彼は思っていても好きってなかなか言わないし照れて言えない。特に人前でなんてもっての他!の「てい」がある気するんだよね、何となく。で、何気なく二人でいる時に素が出ちゃうっていうギャップの構造。


まあだから何だって話でもないんだけど、ギャップって本当に素晴らしいですね。