平成の「北風と太陽」

それにしてもあれは酷かったのではないか。ドトールで隣に座った男女の話、いや、正確に言えば男の方の話だ。


今日もドトールは寒かった。客の回転を上げるためにエアコンを温度低めの風量強めに設定しているのだろう。僕のようにコーヒー1杯で4時間も5時間も店に居座る不逞の輩を排除するためだと言われるとこちらとしても立場が苦しいが、環境を制御することでそれと気づかせずに客足をコントロール、全くそら恐ろしい話である。
とまれ、長時間店内にいると本当に体が冷える。Bonnie Pinkのベスト版を聞きつつ卒業試験の勉強にいそしんでいた僕だが、今日も今日とてあまりの冷えに平成版「北風と太陽」よろしく上着を羽織ろうと鉛筆をおいた。コードが絡まるため一瞬iPodを停止しイヤホンをはずす。Bonnie Pinkから解放された僕の耳に隣の席の男女の会話が、いや、正確に言えば男性の声が飛び込んできた。少々うるさいくらいのボリュームだ。


ちらりと目をやると歳の頃40台半ば、紳士的な風貌をたたえたなかなかにルックスのよい男性が、口説くとまでは行かないものの(真っ昼間だしね!)隣の女性を喜ばせようと大きな声であれこれ話している。もちろん、お気に入りの女性の前で張り切り声が大きくなってしまうのは世の男性の常だから多少の大声には目をつぶるが、この紳士の場合何が迷惑かと言えば、思わず聞き入ってしまうほど芸術的に話がつまらないのだ。
ひげを蓄えたダンディーな口元からこぼれるストーリーには山も無ければオチも意味もなく(やおいってことじゃないよ)、話題の選別、喋り口、時折はさまれるジョーク、その全てが厳選の粋をつくしてあまりある程につまらない。「僕はねえ、ラーメンの油を吹いてよけて食べるんだ。だってあんなのを気にしないで全部食べてたら太っちゃうでしょう?鳥の皮なんかもそうじゃない?アハハ。」え、ええぇ〜!それが40過ぎた大人の男のトークなの?!半疑問系で喋る意味もわからんし、最後の「アハハ」に至ってはどこで笑ってほしかったのかすらわからない。冷房以上に場を冷やす平成の北風、恐るべしである。


その後も続けて聞き耳を立てる(というか勝手に聞こえてくるくらい声がでかい…)に、あらゆる話題においてハイブロウな北風トークが繰り広げられている。この男、本物だ。お手軽ジョーク集としてBRIOにでも載っていたのだろうか、と言うか、そうであってほしい…。いつ店員さんが「お客様、当店でそのような寒い話は慎んで頂けますよう」と彼をたしなめてくれるかと待ちわびていたのだがそのような気配はまるで感じられず、彼の連れた女性の楽し気でテンポ良い相づちがただ時を刻んでいく。母性恐るべし、彼女の懐の深さには心底感服するばかりだ。というか、そのトークで笑ってあげている時点で女性は相当男性に気があるに違いないんだから、もうカップル成立でいいじゃん。ちゃっちゃとコート脱いじゃえばいいじゃん。


あるいは彼(と彼女)は、ドトールが雇った刺客なのかもしれない。いくら冷房をきつくした所で長袖まで持ってきて店に居座る僕のような不定の輩を追い払うために、会話の面から店をさらに寒くしているのではないか。それならば、店員さんがいつまでも彼をたしなめなかったのも、女性が彼の話を楽しそうに聞いていたのも頷ける。なーんだなんだそういうことだったのかドトールさんよ。エアコンで身体を冷やすに飽きたらず、トークで精神までをも冷やしてくるとは、客をバカにするのも大概にしやがれ!


などとあれこれ考えふと気がが付けば、イヤホンをはずしてから30分が経過していた。マ、マジで?!30分間赤の他人を引き込み続けるなんて、ひょっとしたら彼の話術のレベルは途方もなく高かったのかもしれない。してやられた。