裁判が本当に怖い


音楽配信メモで知った、気になるニュース。


オリコンが烏賀陽弘道個人を対象に5000万円の損害賠償請求。


法律のことは何一つ分からないし、烏賀陽さんの著作も読んだことはない。このニュースのどこまでが本当かどうかも問題じゃない(判断がつかない)。
何が正しい正しくない/事実である事実でないの話ではなくて、ただ、怖い。日々を懸命に働き自らのモラルに則り誠実かつ真っ当な仕事をしていたら(しているつもりでいたら)、それが法に触れているにせよ触れていないにせよ、ある日5000万円を請求され、対応に追われ他の業務が完全に圧迫され、弁護師費用もかかって。という状況は想像するだに怖ろしい。
万が一5000万円の請求が認められたとしたら、そのあまりに莫大な金額分の損失だけでなく、後々の仕事への多大な影響や周囲の目など、人生おしまいとは行かなくてもそのダメージは計り知れないだろう。自分にだってこの状況は容易に起こり得る。


話は変わるが、最近読んだ本。


裁判長!ここは懲役4年でどうすか (文春文庫)

裁判長!ここは懲役4年でどうすか (文春文庫)


裁判の素人目線傍聴記なのだけれど、ムチャクチャ面白かった。少しの不運や心の弱さが連続するとそれだけで、「再チャレンジ」なんてどうあがいても効かない所に人の一生は流されてしまう。裁判って、自分がいつ被告になるか(無実の罪であれ、本当に罪を犯したのであれ)わかったものではない上に、裁判になっただけで社会的に相当な部分を死ななければならない(特に刑事訴訟にそのようなイメージが強い)。
心から怖い。法律を学んでいる人にとったらお笑いぐさなのかもしれないが裁判には「確率で襲ってくる死刑」めいたイメージがどことなくある。いつ自分に降りかかることかと思うと、罪を犯した者は裁かれるべき、ということも大きな声では言えなくなる。自分だっていつどのような形で罪を犯し、問われるかわかったものではない。*1


のぞき趣味も大きいけれど、一度は裁判の傍聴に行ってみたい。

*1:同じことが「精神病」にも言える気がする。例えば統合失調症のエピソードなどを見るにつけ「ああ、この人は発症の瞬間「もと」には二度と戻れなくなってしまったのだな。と、症例報告や国家試験の問題文を読むだけで胸が苦しくなる(こういう物言いをすべきではないのかもしれないし、あまりに上から目線な発言だと自分でも思うが、現状として事実、そうであろうと思う)。そして自分もいつ同じ状況になるかわからないと考えるにつけ、心から怖ろしくなる。