ドッペルゲンガー

先日修理に出していたパソコンが長い闘病生活を終え晴れて退院の運びとなったということで、私はそのパソコンを受け取りに秋葉原まで向かった。もう一度言おう、先日修理に出していたパソコンが長い闘病生活を終え晴れて退院の運びとなったということで、私はそのパソコンを受け取りに秋葉原まで向かった。ちなみにこれは何の複線でもない。


最近ではすっかり見慣れた光景となった「メイドさんティッシュ配り」を横目で眺めつつ、颯爽と自転車を走らせる私。そこで事件は起こった。ふとティッシュ配リーナの一人に目を向けると、運命の悪戯か神様の暇つぶしか、どうにもそのメイドさんの顔が私にそっくりなのだ。
微妙に浅黒い肌の色、そのテクスチャー(クオリアって言うの?←言いません)、さらにはインドを匂わせる目鼻立ちの親・南アジア感。どう考えても似ている。もう一度言おう、どうにもそのメイドさんの顔が私にそっくりなのだ。過去にも総武線内で極めて私に類似したフェイスを持つ女子高生と邂逅した経験があるが、それに勝るとも劣らないシミラリティ、シミの利休だ。一期一会の精神などどこ吹く風である。
そして、自分と同じ顔の女性を見ると無性に「申し訳なく」なってしまう。僕なんかに似ちゃっててごめんねぇ…。分かっている。私に過失は何一つないし、そもそもその顔に申し訳なく思うこと自体が先方に対して極めて失礼なことなのだが、やはり、どこか申し訳ないのだ。ごめんなさい。いっそ誤ってしまえればどれほど気持ちが楽になれるだろうか。


「こいつは私に似ている」とあちら側でも思ったのだろう、メイドは自転車に乗っているため決してティッシュを受け取るわけのない私の顔にその視線を固定&ホーミングし、私も同様に彼女の顔を追う。おそらくその間0.7秒程度であったと思われるが確かにその時互いは互いに向き合い、タージマハルばりの鏡写しとなっていた。映像はスローモーションとなり、そしてインド映画であればその後意味なく群衆で踊り歌い出すに違いない、感動のシーンだ。ハリフェイラミライ・ハリフェイラミライ。


とまあここまでは分かる。珍しいモノを見て思わず視線がそれを追う。それはごくごく良くあるお互い様の話だろう。ただ私の心にどうも引っ掛かる小骨は、そのメイドが視線の固定を解除しティッシュ配布業務へと身を戻そうとする、視線が離れるその瞬間、明らかに「かなりネガティブな意味で、ものすごく哀しそうな」表情をしたことだ。え、今、しかめた?苦虫噛んだ?おかしいな、お互い様のはずじゃ…いやでも今明らかに嫌な顔して、汚いものを見た的な表情をたたえながらあの子は目を離したぞ。


何だろう、このやり切れなさは。いや、いいんだ、全然問題ないんだ、だって私はあらかじめその人に似ていることを「申し訳ない」と思っていたのだから。だがしかし、嫌な顔をされようと構わないと言えば構わないはずなのに、腑に落ちないことこの上ない。同じじゃん。同じ穴、同じ国のムジナじゃん。なぜ0.7秒でそこまで拒絶の意志に溢れた表情を見せられなければならないのさ。と、私は非常に陰鬱な気持ちになった。繰り返そう、私は非常に陰鬱な気持ちになった。
そもそもあちらはメイドではないか。仕えてナンボ、奉仕させてもらって毎度あり(maidだけに!)な職業のはずだ。それが相手を陰鬱な気持ちにさせておいて、一体何になりたいというのか。あれか、逆メイドか。逆さえつければ何でも良いと思ってるのか。も〜、プンプン!今更のさとう珠緒が空しく秋葉原の空に響き渡る。


というわけで、今度あのドッペルメイドを見つけたら、男らしくガツンと、似ていてごめんなさいって言おうと思った。もう一度言おう、似ていてごめんなさいって言おうと思った。