張りぼて

バレンタイン・デイ。世の女性が愛情たっぷりにそのままでも食べられるものを溶かし再加工してはそれをいけしゃあしゃあ「自作」と言い張るその一方、男は日頃から積もりに積もった1年分の見栄を張る日だ。チョコレートを全くもらえない輩は「そんな義理みたいなのもらってもねぇ…」と場をくさし、もらったらもらったで「まぁ嬉しいは嬉しいけどさ」などと心とは裏腹な「そこまで嬉しがっていないポーズ」に励む。本邦に暮らし初等教育を終了した者なら身につけているとされる「およその数」の概念を駆使し、いただいたチョコレートの数を水増しするのにも余念がない。たとえば私は今日、職場でおよそ2兆個のチョコレートをもらっている。男は目いっぱいの見栄っ張りなのだ。たとえ太陽が月明かりの休息を許され星空が陽光にくるまれ眠るとしても、男の見栄に安息のいとまはない。見栄イズバトルフィールド。24時間とはまさに主戦場。


男の見栄について考える上で欠かせない日といえば本日より1ヶ月後にきたるホワイト・デイを除いて他にないだろう。4週間にわたる熟成期間は男の自尊心をますます肥大、熟成、発酵させ、あるときは見当はずれあるときには独特かつ過剰に過ぎたお返しが女性たちの失笑を買いもする。自選のベストセレクションMD、お気に入りの詩集、自分が出場するライブや競技のチケットなどなど。それが通じるのは最初から自分のことを好きな女性だけという境界条件を、片っ端から無視して渡るその背中。実に残念でならない。
かといってもっとも信頼できるタイプのお返し、すなわち値段も行き過ぎず装飾も華美でない茶菓子など、控え目ながらに身のあるものを楽しんでいただきたいという質実の精神に満ちた品物を差し上げたとして、それはそれで微妙な表情をさらに贈り返される羽目となる。裸の王様なら裸らしく見栄を張っていなさいよ気持ち悪い。という手痛い視線に縮み上がった覚えのある男連中は決して少なくないだろう。


ホワイト・デイの「ホワイト」に注目したい。女性特有の疾患チョコレート嚢胞(卵巣にできる、子宮内膜症の一種だよ!)がバレンタイン・デイに姿を変え社会通念化している昨今。ホワイト・デイが男性の「白い」あれ。あれですよあれ。わかってるでしょあれだってばあれ、ね。というわけでざっくり言えば精液のメタファーであることは疑いなく、それを否定することは男女雇用機会均等法の精神に照らしても決して許されない愚挙といえる。紳士淑女の皆様方のことだ、ここまでは疑問の余地なく納得していただけたことと思う。性の男女を問わず、羊水の腐った人も腐っていない人もついでだから井上陽水も、万人の納得がモニター越しに伝わってくるようだ。
さてここでクエスチョン。先に確認した厳然たる事実ーー男の見栄の一等賞の日はホワイト・デイーーを上に見る精液についてのささやかな省察に加味すると?皆様お察しの通り、射精と男の見栄は密接な関係で繋がっている。かような結論に突き当たらざるを得ない。
精液を放つ行為についてはこれを射精と呼ぶ。隙あらば見栄を張るばかりでなくチンコすら張る、おめでたいにも程があるハッピーアニマル=オスとはいえ、ここでまさかの射精である。お茶目な見栄にもバドガール、失礼、程がある。


バレンタインから出発して随分と遠くまで来たが、ここでようやくの本題に入る。精液を体外に出すに際し「射る」という言葉を当てようとするその姿勢こそ、見栄に、いや虚栄に満ちた営みなのではないか。当エントリをそのような問題提起の場に代えさせていただきたい。


インターネット上で最も頻繁に利用されている辞書のひとつと思われるgoo辞書で「射る」を引くと以下のような記述が得られる。

(1)弓で矢を飛ばす。「弓を〈いる〉」「矢を〈いる〉」
(2)矢や弾丸を飛ばして目的物に当てる。「けものを〈いる〉」「的を〈いる〉」
(3)ものに強く鋭く向けられる。「厳しいまなざしが人を〈いる〉」「太陽の光が目を〈いる〉」
(4)(比喩的に)貴重なもの、望んでいたものを手に入れる。「金的を〈いる〉」


総合するに「何かしらを勢いよく飛ばすことで、目標物に決定的な影響を与える」という意味がとってとれよう。いかがなものだろうか、射精にかような意味を付与せんとする過剰なまでの見栄っ張りぷり。同性としての自戒も込めて、嘆かわしいと言う他ない。
射精、チンコは弓でありピストル。精液とは常に「的」に向かって「勢いよく」放たれるエージェント。射精、それは狩人のたましい。ただ精液を体外へ出すに過ぎない「射精」という行為に、欠かしがたい標的を射止めるハンターのまなざしを込めんとする、そんな欲望を見栄と呼ばずして何を見栄と呼ぼう。
さらに射精なる言葉を用いる限りにおいて、常に「的」が前提されていることも見逃せない。そもそも「的」たる女性を相手に「射精」をするとは限らない上に、女性との性交渉の場においても放たれた精子卵子を「射抜く」かといえば、必ずしもそう上手くことは運ばないだろう。射精。なんと偽りと虚飾に満ちた一言か!精液を放つ行為に、男性固有の能動性をアピールしようとするあまり、私たちはあるべき道を見失っているのである。見栄を張るつもりが見栄に張られていては本末転倒ではないか。チンコは張っても張られるな。巨根は虚根。


gifted。競争社会の現前たるかの国では、努力ではいかんとも埋められぬ、天賦の能力に裏打ちされた何らかの才能。それをもつ者をかように形容すると聞く。「射」の名に恥じぬ「射精」を成し遂げられるgiftedは果たしてどれだけ存在しているのか…結論は火を見るより、矢を射るより明らかだろう。虚偽に満ちた砂上の楼閣。男とは悲しいまでの見栄っ張りモンスターなのである。


往年の名バンド「チューリップ」に倣えばこうも言えるだろうか。見栄っ張りは男の罪、それを許さないのは女の罪。ほんの小さな出来事に傷つくあたり、愛とチンコに共通点もなくはない。
見栄っ張りを通り越し見栄っパリジャン(胸毛に期待大)の私もここでようやく見栄と言い訳の網の目を張り終わった。何千字の言い訳を経てようやっと、このエントリを書き始めたその瞬間から心底伝えたかったメッセージを正直に伝えられる気がする。ありがとう。世界よ、オゾン層よ、偏西風よ、そしてチョコレートをくれた人々よ、ありがとう。
今日私にチョコレートを暮れた2兆人のみなさん、臍の緒がちぎれるくらいの喜びをあなたに伝えたい。緊張や物理的距離が阻み、未だ私にチョコを渡せぬそこのあなた。そんなときは右のメールフォームからたった一言をいただければそれで良い。それだけで私は天に舞い上がる。確認しておくが、チョコレートはほしいがチョコレート嚢胞はほしくない。嚢胞をお持ちの方は是非、婦人科を受診されたい。
メールミープリーズ、プリーズ、プリーズ…。当方、2月14日の72時、場合によっては214時くらいまでがバレンタインだと思い続ける所存だ。高楊枝を気取ろうにも楊枝一本手元にない私は、それでも何とかして愛されたい。なにとぞ、なにとぞよろしくお願い申し上げる。