HEART STATION

宇多田ヒカルは今までひたすら「『あたしのこの孤独なんて誰にも理解できるわけないんだわ!』っていうこの気持ちを世界中の人にわかってもらわずにはいられないの!」を歌ってきた人だと思う。受容と共感のややこしい入れ子構造。それを歌にしたい、ではなくて「しなければいられない」あたりに表現者としてののっぴきならない業を感じる。憑きものが落ちてすっきりした感触の新譜でもその印象は依然として変わらない。
「一人じゃ孤独を感じられない」という歌詞があったのは『For You』だけれど、孤独を感じるためにも孤独に関するこの気持ちをわかってもらうにも、とにかく宇多田ヒカルは無数の「きみ」「あなた」を必要としていて、でもひょっとするとそれは必ずしも「特別な誰か」である必要はなく、奇妙な言い方になるけれど「『きみ』でありさえすれば誰でも良い」のではないか。彼女の曲を聞いているといつもそんな気がしてくる。あなたしかいないの!という気持ちを感じさせてくれるなら、あなたがどこのどいつであってもおかまいなし。そんな意味で彼女の歌う「きみ」は「非匿名の匿名性」なのだと思う。


HEART STATION

HEART STATION


外科の研修が終わって3週間がたった。1月からの3ヶ月間、とにかく刺激的な毎日だった。ヘルニアと虫垂炎だけとはいえ経験した手術は手順の全てで緊張したけれど無性に楽しかった。病変を直接目で見て触れて取り出して、という外科の思想自体が自分の性に合っていた。ような気がする。
お世話になったチームは心から尊敬できる先生ばかりで、医療に対する謙虚さ、真摯なあり方、そして患者さんに接する親身の態度には言葉に尽くせないほどの圧倒的な感銘を受けた。これ以上ないくらいにお世話になった。本当にありがとうございました。看護師さんたちもみんなサバサバしているけれど優しくて、いたらない所だらけの使えない研修医にも好意的かつ教育的な態度で接してくれた。ありがとう、大好きです4N(途中から引っ越して4S)病棟。


チンチンを見なくなった。外科研修が終わって何がさびしいかってオペ室でのひそかな楽しみ、つまりチンチンがなくなったことだ。この喪失感のやるせなさといったらない。いや、気がふれたわけではないから落ち着いて読み進めていただきたい。
手術台に上る患者さんはもちろん裸になるが、患者さんのチンチンはひとつひとつが実に個性あふれていて、そこには経てきた人生を思わせるように様々な年輪が刻まれており、まさにオペ室に咲いた世界に一つだけの花だった(槇原敬之だけでなく僕もゲイですみたいなカミングアウトではないですよ!)。1本1本がそれぞれに違っていて、それを見るのが何ともいえず好きだった。イヤらしい感情とかではないの。伝わるだろうか、盆栽を愛でるおじいさんみたいな、ほほぅそう来ましたかぁみたいなあの気持ちだ。あのー皆さん、僕の心の電波、届いてますか…?


銭湯でつい他の客の股間をぼんやり眺めてしまう感覚を思い浮かべていただければわかると思うがチンチンというのは実にアイ・キャッチングなしろものだ。女性の場合銭湯にチンチンを持ち込む客はそう多くないだろうけれど何かこう様々な局面で、チンチンが視野に入るとあら不思議、つい眺めていたくなってしまいませんか、なるじゃないですか。チンチンって理屈ぬきになんかいいじゃないですか。どうですか。…おかしい、言葉を足せば足すほどみんなが僕の周りから去っていくような気がする。秘密のヘルツ。心の電波、届いてますか…?


チンチンが見たい。これが外科が終わった私のいつわらざる思いだ。バカかお前は何言ってんだ!誰にも理解されるわけないに決まってんじゃな、ていうかそもそもこれブログに書いて良いような内容かこれ、恥をかくのはお前だぞ? そのような自問もなくはないが、それでもこの思いが皆に届くことを信じたい。外科研修終了と共に訪れた「チンチンと別れる寂しさ」なんてどう考えても伝わるわけがないと思いながら、それでも他者との共感へのわずかな可能性にかけてみたい、かけずにいられないのだ。孤独。宇多田ヒカルの気持ちが今は身をむしられるほど痛切にわかる。ヒカル、つらかったね…。


このエントリのコメント欄がチンチンについての意見交換の場になればこれ以上の幸せはない。私の好きなチンチン、ベスト3!ワットゥスリ〜(ザ・ベストハウス風)。みたいなのも良いだろうし「本当にあった怖いチンチン」なんてのもすてきだ。男性諸氏からの私のチンチンアピール(右投げ右打ち左曲がり とか)も男気があってかっこよい。女性からみたチンチン像も知りたいところだ。みなさんコメントまってます!それにしても、もう日記でもなんでもないな、ここ。