Never can say goodbye

昨日マイケル・ジャクソンの訃報を耳にして何に一番びっくりしたって、思いのほかびっくりしている自分自身にだった。
ポップミュージックをそれなりに愛する身として、たしなむ程度のマイケル・リテラシーはある。しかし「彼の熱心なファンであった季節」なんてなものは、ぼくの生活史のどこを探しても見あたらず、みなしごだったぼくを拾ってくれたのはマイケルで…というエピソードもない。なんでマイケルはぼくをいつもハダカにして色々さわってくるんだろう…ないって。とにかくぼくは「そりゃショックのひとつも受けるよね〜」とうなづくに足る思い出その他がまるでないにも関わらず、動揺していた。

そんな昨晩は、近所の居酒屋「魚やの台所」で澤乃井や三岳にマグロの中落ちをあてながら、つまりマイケルの喪に服しながら、この「正体のよくわからない動揺」の原因のことを考えていた。そして思った。これはおそらく「世界の輪郭が欠けたことによるショック」なのではないか。
あまりに化け物じみた成功を収めたマイケルは、そうは意識されていなかったとはいえ、ぼくにとってひとつの「極点」だった。ネバーランド(けっしてない国)というふざけた名前の邸宅を築き顔の輪郭もパーツも果ては肌の色すらも(病気があってのことだけれど)ころころ変わり、ささやかれるお財布事情、果ては性的アビューズや違法ドラッグの噂までもがまことしやか。それでも彼は稀代も稀代の大ポップ・イコンだった。常人のものさしではかれば「奇行」に分類するしかない離れ業の数々を超然と。彼は行い続けていた。人間はポップスターとしてここまで逸脱することができる、という意味で彼は「極点」だった。家よりお前の方がよっぽどネバーだよ。

極点は世界の境界線でもある。あるいは世界の果て。私が感知できる世界はその境界線までしか存在せずその先には何もない。想像することもできない。だだっぴろい海を延々と泳ぎ、行き着いた先にはマイケルの顔をしたブイが遊泳禁止区域のようにぷかぷかとつらなっている。その先にはただのまっくらやみが広がるだけで何もない。
マイケルは生きながらにして世界の輪郭だった。ほとんど神話のような、ユニコーンとかピカチュウの方がまだリアリティあるだろうくらいの存在ではあったけれど、マイケルが黄色くなってピッ、ピカ〜って愛くるしく言ってても意外に違和感ないなあと思うけれど、かくして彼は事実この世界に生きており、私が確知できる世界の此岸/彼岸の境界線として揺れうごきながら機能していた。マイケルはぼくの世界の輪郭であると同時に、その輪郭を変化させていく可能性だった。

忌野清志郎が死んだと聞いたとき、あのゴキゲンきわまりないライブがもう見られないかと思うと確かに悲しかった。でも「自分が想定していた悲しさ」と「実際に訪れた悲しさ」はほぼイコールだった。十分想定しうる範囲での誤差しかなかったように思う。喉頭癌のことは前から知っていたし、民間療法で治すという、生命予後の観点だけから考えたら相当にロックンロールな選択の結末が容易に予想されていたというのはある。心の準備というやつ。でも一番大きかったのは、ぼくにとって彼が「世界の輪郭」ではなかったことなんだと思う。
ここに書いていることは、「びっくりした」というを言葉を上っ面だけでこねくり回して「輪郭」だとか、それっぽく言い換えているだけなのは分かってる。単なる言いかえ表現にすぎないから理屈は何も深まっていない。でも、それにしてもなあ。マイケルなんかよりもよっぽど清志郎の方が好きだったのに不思議なものだ。

以上はぼくだけのごく個人的な感想だけれど、ひょっとしたら人間集団全体にも、境界線の喪失が共有されてはいないかと妄想してみる。でっかいポップ・スターが死ぬと言うことは、社会がそうみなし合意していた「これが世界です」という輪郭が一部崩れるということで、価値観の根っこの部分がゆらいでしまう。だから特別ファンなわけでもなかったのにスターが死ぬと世の中に動揺のムードが生まれ、みんなが「え、マジで…?!」という気分になる。
スター。人間は気が遠くなるくらいずっとずっと昔から、星を見て今いる場所を知ってきた。狩りの時代も農業の時代も大航海時代も、宵闇のなか星のあかりをたよりに進んだ。現代のぼくらは星がなくても行きたいところに行けるようになったし、夜の街はいつまでも明るくなった。夜空から消えた星は「スター」に姿を変えてブラウン管の向こう側でまたたいた。スターは世界を照らし、輪郭を作り、ぼくらはそれを見て昔と変わらず「私が今いる場所」を知る。

さらばマイケル、きらきら星、世界の輪郭。