皿を隠す

もはや旧聞に属す話ではあるけれど今年の関東甲信越地方は例年に比べずいぶんと早く梅雨入りしたらしい。ここの所たしかに雨が目立つ。街並みをとりどりの傘がいろどる風景がぐっと「さま」になってきたような6月の空模様。気圧の関係なのかこの季節あれこれ思い悩むことは多くて考えても仕方ないようなうやむやが降ってはわくし梅雨どきの湿気、私の思考力はすっかりふやけて霧の世界にいて、それでも間違いなく言えるのは、傘をさす人はカッパではないということ。お皿を濡らすまたとないチャンスをみすみす逃すなんてあり得ない話。そのくらいはぼうっとしている僕の頭でもはっきりと分かる。


カッパの驚異の「いのいちばん」といえば尻子玉をおいて他にない。しかし少なくともこの季節、つまり梅雨の時分に限ってはそのリスクが大きく減ずるといって差し支えない。揚子江気団、オホーツク気団、熱帯モンスーン気団、小笠原気団が日本列島上でせめぎ合うこの時期列島上には雨が続き、かくして皿への水分を求めるその習性ゆえにカッパは傘をささない、さすわけがない。
言葉を返せば雨の日に傘をさしている人間は「人間の振りをしたカッパ」ではなく「正真正銘の人間」といえる。カッパである可能性があるのは雨の日に傘をさしていないごく少数の人間だけであって、そういう人たちにさえ気をつけてすごせば尻子玉に関する懸案に関してはほぼ間違いのない安全が保証される。善として平和と安全にしくはない。


湿気に悩まされるこんな季節だからカツラの人、とりわけ攻撃的なまでにあからさまなカツラ氏を目にしたときの緊迫感ははち切れんばかりだ。誰にでもあるだろう。他のあらゆる要素を押しのけ視界に入ったその瞬間にポップアウトする、激しく目立ちたがり屋さんタイプのカツラを、これ見よがしに装着した男性を見かけ途方に暮れた経験が。なんとかしてハゲを隠そうとする姿勢が男らしくないのか、カツラをまるで隠そうとしない態度がいっとう男らしいのか判然とせず、そのどっちつかずのアンビバレントな感覚が私たちに予期せぬ不整脈発作をふりまく上に、この季節特有の豊かな湿気はそこに「むれそう…」という不安を加味してくる。きわめて緊張感に満ちた頭部がそこには実現されている。むれそう…。
激しい「むれ」に耐えながらそれでもバレバレのカツラをかぶりたい、いったい何が彼をしてそう思わせるのかしら。



カツラの話ばかりではじめじめしてしまうので、心うるおす風物詩でもどうぞ。


推理小説によくあるパターンに「何かを隠しているように見せかけるのは、もっと大切な何ものかを隠し通すため」というものがある。つまりカツラでハゲを隠しているように見せるのは、より大切な何ものかから皆の目を遠ざけるための「心理トリック」である可能性が充分に考えられる。誰がどう見てもカツラ。といういかにも不自然な事態、それはすなわち「気をつけろぉ〜、こいつはハゲをひた隠しているぞぉ〜(でも全然隠し切れてないね、実に滑稽であることだねプププ…)」で私たちの思考をストップさせるために仕組まれた巧妙な罠、水際の防波堤としてのカツラだったわけだ。自分のハゲひとつ隠しきれないピエロのふりをしながらとんだ策士、実に策士である。


「本当に隠したいもの」とはいったい何なのか。これが実に気になるところだが、敢えての「みえみえ」で私たちを煙にまいた狡猾なカツラ族たち。思考の補助線として、彼らはなぜカツラを「使わなければならなかった」のか?こう考えると話はぐっと見えやすい。それは、カツラの下に「本当に隠したいもの」を隠しているから。ハゲのふりをして、つまりカツラでハゲを隠しているそぶりを見せながら、実際には全く違うものを隠しているから。これが答えだろう。策士ワザに溺れるとはまさにこのことで「カモフラージュにカツラを用いた」という事実が、「本当に隠したかったもの」を実に雄弁にもの語っている。皮肉な構造である。
んふふ、ハゲなんて隠していませ〜ん。全然違うものをカツラで隠してマース。彼らの高笑いが聞こえてくるようだ。


お前の言うことは推測の域を出ないと反論をしたくなる方も多いと思う。しかしこの仮説を実証する例を私は実際に経験したことがある。舞台は私が研修を積んでいるとある地域中核病院。
外科研修中のできごと。手術を受けるために手術台で裸になったとあるカツラ族の患者さんは、全身の衣服を脱ぎ去りまさしく裸一貫で病と対峙しようというその瞬間にあっても、カツラを手放すことはなかった。どこ吹く風で丸わかりのカツラを装着し続けていた。中心には真っ裸がカツラ一丁、周りには緊張をほぐそうと明るく接する看護師、神妙な顔で患者を見守る外科医・麻酔科医。どこからどうみてもギャグとしか思えない。もうどこにも「本当に隠したいもの」は持っていないはずなのになぜまだカツラを…。
あのときは必死で笑いをこらえたが、今ならはっきりと理解できる。あれは、「ハゲを隠せていると思いこんでいるそぶり」を貫き通すことで、カツラの下のサムシング・プレシャスを守り通していたわけですね。


とまあ、今のエピソードは全くの作り話なのだけれど、そんな状況あるわけないのだけれど、私の言わんとすることは十分に伝わったのではないだろうか。カツラの下にひそむ本当の秘密。彼らは頭部にのっけたカツラでハゲを隠蔽するふりをしながらそれとは違うなにものか、つまり皿を隠している。頭部に皿があるのはカッパだけだから、バレバレのカツラをかぶる人たち、彼らは実はカッパということになる。ハゲ隠しのふりをしてカツラをかぶっておきながら、実際には皿をこそ、本気で隠しているだなんて。カッパの英知恐るべし。


以上に見た「逆説的カモフラージュ」の理論で大切な皿を私たちの意識から完璧に隠しおおせるだけでもカツラの効果は大したものだが、「むれ」の効果も見逃せないポイントだ。カツラをかぶることによって頭皮から蒸散する水分を封じ込めることが、つまり皿を乾燥から防ぐことができる。ましてや梅雨時のこの湿気、保湿効果はうなぎ登りに違いない。雨の日に傘をささず歩き回っては皿にに水分を供給する必要性は、もうない。カツラに悪いとこなんてひとつもないっぱー。←カッパの語尾。



カツラとカッパの話にも飽きてきた頃だと思うので、とっても目に良い(ブルーベリーに色が似てるし)風物詩でもどうぞ。


冒頭、傘を差している人間はカッパではないと述べたがここでひとつの修正を加えなくてはならない。カツラ効果により皿のうるおいが約束されたカッパは、雨天に際し傘を「ささない必要がない」ことになる。あやしまれないように、堂々と傘をさすことができる。そもそもハゲを隠すそぶりのカツラで入念に皿を隠し、私たちをあざむこうとする老獪なカッパたちのこと。さらなる演技として「雨の日に何気なく傘をさすことで、カッパ感を消してみせる」くらいのアクロバットはいけしゃあしゃあとやってのけるだろう。


つまり雨の日の注意点、傘を差している人間は基本カッパでないと思って差し支えないが、みえみえのカツラをかぶっているくせに傘をさしている人がいたら基本それはカッパだ。ハゲを隠しながら雨の日には当然傘をさす普通の人間、のふりをしていてもそれは念入りに仕組まれた罠。真実は以下の通り。


ハゲを覆おうとしつつあからさま過ぎるカツラのせいで残念なことに全くハゲを隠しきれていない、とんだピエロだよねゲラゲラ、とみせかけて実はカツラの下の「皿」を物理的にも心理的にも隠蔽することに成功した正真正銘のカッパ。合わせてカツラ特有のむれは皿の保湿にも成功し、隠蔽と保湿でまさに一石二鳥のウハウハ状態にカッパたちはいる。さらに雨の日には傘をさすこともできるわけで、「傘をさしてんだしあいつはまずカッパじゃないだろー(ハゲだけど!)」と、人間どもは俺たちのことをカッパだとは夢にも思わない寸法というわけ。
いやあー、これだからカツラはやめられないっぱ。今日も尻子玉、狩ったるっぱー。カッパの高笑い、ぱっぱっぱー。


カッパおそるべし。繰り返すが、バレバレのカツラをかぶった人間が雨の日に傘をさしているようなら、それはカッパだ。私たちは肛門を引き締めて臨まなくてはならない。梅雨はこわい。尻子玉を抜かれたら、お近くの救急病院へ急がれたい。