デートコース見てきた。

今日はものすごくたくさんのことがあった。
これからバイトの仕事しなくちゃいけなくて時間がないから一言コメントで。


1外の実習が始まった。うちの大学の1外は基本的にはずっとチームで動いていて、お昼ご飯を決まって一緒に食べる。しかもオーベンの先生(チームのボス)がおごってくれる。オーベンの先生、昼飯代が3000円とかに平気でなる。しかも毎日。本当にありがとうございます。
にしてもご飯を一緒に食べるのっていいなあと思った。別に喋ることなくてもとにかくチームだから、上は下の面倒見なくちゃ行けないからご飯を一緒に食べるんだ。っていう考え方はとても好きだ。
家族とのアナロジー。僕は家族の人々と特別気が合うわけじゃないけど、それでもやっぱり家族だから好きだ。長い時間を一緒に過ごして、ご飯を食べてきた間にしか作れない空気がちゃんとあるから好きだ。
それに、「毎日ご飯をおごられる」っていうのがすごい。このありがたさは言い尽くせない。「食べる」「金銭」っていう、動物として及び社会的存在としての、人間の最もベーシックな用件を共に満たすからなのでしょうか。
まだ1日だけなのに言うのも何だけど、これからの2週間で毎日ごはんを一緒に食べた経験を、しかもおごってもらった経験を、僕は一生忘れないと思うし、少なくとも現時点では絶対に忘れたくないと思う。


あと、「この臓器はなくても大丈夫」「この臓器はないと困る」っていう考え方は面白い。すごく外科っぽい。その考え方自体は去年学んだつもりだったんだけど、今日先生にいろんな話を伺って、実感として身に付く最初の一歩を踏み出せた感がある。しかも、医学部のお勉強とは全然関係ない場所でもたくさん応用できそう。こういうことを学べると得したきになる。


あー全然一言にならない。
いいや一言は諦めた。



生まれて初めて、香水を、本当に心からいいにおいだと思った。やばかった。丸ノ内線で隣に座ってきた女性。その人が席に着いた瞬間、もっとかっこよく言うとその刹那、やっぱさすがにカッコよすぎるからやっぱその瞬間、輪郭がはっきり見えるくらいに甘くてやわらかい空気(もちろんきつすぎるって意味じゃなくって)が鼻に飛び込んできた。軽い酸味、その人のにおい、車内のにおい、全部が渾然一体になってとにかく脳がとけるんじゃないかってくらいのいい匂いだった。鼻腔の天井の嗅細胞がパーフェクトな気持ちよさでもって刺激されて、その刺激は櫛板通って嗅球に嗅索通り過ぎて大脳へゴー、脳天に天使のラッパが響いた。
品名とか全然分からない。急になんでなんだろ。きっとお腹がすいていて、匂いに敏感になっていたからだと思います。



いい匂いに酔いしれつつ、Date Course Pentagon Royal Garden のライブに。
勝手に会場がリキッドルームだと思い込んでて(本当は渋谷クワトロ)、間違いだと分かったときの呆然さたるや・・・。アホすぎる。
ライブはよかった。すばらしかった。今日のハイライト「Hey Joe」の盛り上がり。やばかった。音楽は演奏だけじゃなくてオーディエンスによっても作られるってよくわかる最高の時間だった。
あとアンコールの2曲目みんな大好き「Mirrorballs」、ギターのJason(スキンヘッド)が真後ろからの光に頭を照らされてて、本当に後光が射してるみたいでして。皆既日食みたいになってんの。それが本当にミラーボールみたいに見えて、「菊地成孔のことだからこれは周到に仕組まれたジョークなんじゃないか」と思うほどに笑いがこらえられなかった。
あと大儀見さんがマツケンに似てるから、会場のミラーボールと相まってマツケンサンバかと思った。嘘、思わなかった。


ええと、みんなすばらしい笑顔で会場見てるだけで幸せだったんだけど、明らかに大きすぎる音量かつ音楽を気にしないタイミングでフゥー!とか叫んでる人。バッグをずっと脇に抱えて周りにぶつけまくってた人。アンコール前、別に後ろの方にいる訳でもないのにタバコ平気で吸って煙をまき散らしてしかも灰を床に直接捨ててた人。以上3人。
別に悪意無いんだろうし、タバコとかはライブハウスのマナーの中では問題ないかもしれないから、まあこっちの器量が小さいだけなんだろうけど、周りがいやがってる顔は気にしようよ。って思いつつ多分自分も周りに何かしらの迷惑をかけてるんだろうな。


今日のライブ、情熱大陸のカメラも入ってた。ひょっとしたら自分が映るかも!←映りません。
っていうか、踊り狂っている所とか見られたら恥ずかしすぎて死ぬな。



あとシガテラの最終回。
どんなにドラマが起こりそうでも起きやしねえんだぜ。どんなドラマも日常と隣り合わせなんだけど、起こらなかったら感知すらされないんだぜ。何そんなにドラマチックなことがぱかぱか起こるって思ってんの?
そんなメッセージを勝手に僕は読み取ってたんだけど、そんなマンガらしく最後の最後までこれといった大波乱はなかった。荻ボーが普通の立派な大人になってた。昔ぐだぐだと考え思い悩んでいたことを、時間が軽く乗り越えて、ばっちり成長して社会の中で生きていた。あと5年もしたら、マンガで描かれたエピソードなんて荻野はほとんど忘れちゃうんじゃないかな。
ラストを読んでぼんやりもやもやと悲しくなった。
稲中」とか「僕と一緒」の頃に「現実ってまあこんなもんでしょ?」って散々現実を笑い飛ばした古谷実が、今や現実を笑うどころか憤ることもしなくなってる。最終回で示された「まずまず」の将来は、現実に絶望や諦念することを許さない。もちろん笑い飛ばすこともできない。
未来は「そこそこ」で、過去にもがいた思い出はどんどんなくなっていく。これが上も下もなく現実。ぱっと見はほのぼのした平穏な終わり方に見えるんだけどとんでもない。とても悲しいラストだと思った。飲み込むのにもっともタフな精神力を要求する終わり方だー。


まあそんな一日でした。