ミュージックバトン よく聞く、または特別な思い入れのある5曲  続き

2:『ラブリー』(小沢健二 「LIFE」)
「LIFE」は今まで生きてきて一番好きで最も回数を聴いたアルバムかもしれない。全能感と完全無欠の愛情にあふれた生に対する全肯定祝祭アルバム。どんな時でもこれ聴くだけで心に光が戻ってくる。圧倒的な強度で生のパワーが流れ込んでくる。

『ラブリー』を選んだのはこの曲の最後のサビのリフレイン部分が「ライフ」全編で一番好きだから。こんな歌詞。


Lovely Lovely way, can't you see the way? It's a …
Lovely Lovely way, can't you see the way? It's a …
Lovely Lovely way, can't you see the way? It's a …
Lovely Lovely way, can't you see the way? It's a …


聴きゃあ絶対わかるけどこの部分を聴いてると信じられないくらいの高揚感に包まれると同時に何とも言えずもの悲しくて切ない気持ちになる。まあそういうコード進行だからなんだけど、その進行を選び取ったオザケンの心境が問題なわけで、その心境は何かって、「It's a …」の先は言わないんじゃなくて言えないってことなんじゃないか。パーフェクトな世界なんて全く影かたちも見えてないんだけどそれでもそこにラブリーウェイはあるはず!信じる力よ俺に宿れ!
悲しい悲しい反語としての「can't you see the way?」、「Lovely Lovely way」なんてオザケンにも見えてなくって、だからこそこの部分は「見えてくれ!」「そこにあるはずだ!」っていう叫びなんだ。
広義の意味での「信じるべき神さま」を失ってしまった人間たち(少なくとも渋谷系ってのはそういうムーブメントだったんじゃないか)はもはや自分自身の力で現実に光を見出すしかなくて、そんな人々の終わることのない永遠の祈り。「僕には見えないけどきっとあるよラブリーウェイの存在を願おうよ」じゃ足りなくて、「ラブリーウェイはそこにあるじゃないか!丸見えじゃないか!」って言霊と音楽の力を借りて全身全霊で嘘をつく姿。これは誰が何と言おうと祈りそのものだ。
神さまはもういないんだから救いなんてもうどこにももたらされない、実は照らす光なんてない、そんなことはとっくに分かり切っているけど、それでも僕は祈る、祈り続けるよ、生を賛歌し続けるよ。『ラブリー』を、そして「LIFE」1枚を通底するそんなメッセージを僕は勝手に感じ取っている。それは方法的な「祈り」ではあるけれども決して信仰を欠いたritualな行為なんかじゃなくて、諦念や悲しみを乗り越えるための強くて美しい意思の輝きだと思う。


きっとこのアルバムは僕の心の中にいつまでも輝き続ける。ひょっとしたらこれから年をとっていろんな経験をして考え方もころっと変わって「LIFE」なんて全然好きじゃなくなっちゃうのかもしれないけど、だったらだからこそここで祈りを捧げておこう。『ラブリー』、そして『愛し愛されて生きるのさ』『東京恋愛専科』『ドアをノックするのは誰だ?』『今夜はブギー・バック』『ぼくらが旅に出る理由』『おやすみなさい、仔猫ちゃん!』『いちょう並木のセレナーデ』どの曲も僕の心の中にいつまでも輝き続ける不朽の金字塔だ!