つらつら

上手く言えるか伝わるかわかんないんだけど、好きな人に好きって言われるとその「好き」がどんなに軽いものであったとしてもすごく嬉しい。好きじゃない人(嫌いってことじゃなくて、好き「ではない」)に心からの「好き」をもらったときより全然嬉しかったりする。
好きな人相手だと、その人がくれた1の重みしかない「好き」を何とかして10、あわよくば100として解釈できないのか。そう考えてあれやこれやと色んな可能性を模索してその人の言動のあらゆる隠喩を読み取ろうとあがいて都合のいいストーリーをでっちあげて、その半面で「そんなわけないだろ!」と冷静で卑屈な自分が今時分浮かんだばかりのイマジネーション戒めて、しかもそのトータルの過程自体がめちゃくちゃ楽しかったりして。バカ丸出し。
逆に、ってまあ逆じゃないけど、好きじゃない人(しつこいけど、嫌いなんじゃなくて好き「ではない」人)から100の好きをもらったとしても話は違ってくる。少なくとも100が何とか1000にならないか考えたりはしない。


お前何様だよ!を承知で自分が「好き」を伝えられるケースを考えてきたけど、キモくて申し訳無かったですけど、本題はこれから、ことの主客を逆にして考えると大変だ!
今の話をひっくり返すと、「好き」を十分に相手に伝えたければ、相手に自分のことを好きになってもらいたければ、結局のところ既に相手が自分のことを好きじゃなくちゃいけない。っていうジレンマ。それじゃ困るからじゃあ俺/私のことを好きになっておくれよ。好きな人に自分のことを好きになってもらいたかったらどうするのか。ってのが全然わからん!世の中の恋愛上手さんとか人間関係の達人さんとかがananみたいな雑誌で言ってることって頷けはするけどやっぱり僕にとってはほとんど全く説得力がなくて(ギャグにしか見えなくて)、全く救いが見えないから世界は闇です。それでもただ1つ、相手のことを第一に考えなさいってことだけはわかる。自分をかっこよかったり頭が切れたり優しかったり見せるために必要なのは結局セルフプロデュースをどうのこうのの前に相手の視点なんじゃないかなって思う。気持ちいいくらいに根拠レスですけどね。一方的な感情なんてやっぱりなくていつだって感情はインタラクティブ、Touch, DS!!みたいな感じで、常に相手を眺め、触れ、思いやり、そんな気持ちが反射して自分に戻ってくるのをコウモリよろしくディテクトして進むべき道を決めていく。僕の前に道はない、僕の後に道はできない、あなたに跳ね返った光だけが道である、あなたの影だけが僕の人生に必要。そういう風に好いていこうとしてもでもやっぱりそれって自分を持ってないだけだし相手に媚びてるだけで本当の意味で人間らしいコミュニケーションとは言えないのかもしれなくて、人間らしいとかどうでもいいじゃんっていう気持ちもあって、そもそも相手に自分を好きになってほしいって所から始まったのに今こうやって結局は自分のことばっかり考えているわけだからもういいや、ここら辺で毎度バカバカしいお笑いを一席。なわけあるか!確かにこの人生劇場、バカバカしい笑いの一席ではあるけど。うーん、何で相手のことを考えてると思考が自分の方へ戻ってくるんだろう。わからん!ま、anan読んだら解決するかもね。アンアーン。
さーて、明日も乳ガン手術見ながら色々考えなきゃいかんし寝るか。